以前自分のブログで、時代を先取りしすぎた男として三島由紀夫のことを取り上げたが、今回名古屋旅行の新幹線でお供した本も、三島由紀夫の言葉に関する本でした。
ちなみに以前三島由紀夫のことを書いたブログはこちら。
社会人になって小説を読むタイミングもなかなか取りづらいな、と個人的に思っているのですが、また落ち着いた時間に三島文学の美しさにも触れてみたいと思います。
今回紹介する本は、佐藤秀明氏編集の、『人間の性 三島由紀夫の言葉』という新潮新書の本。
三島があらゆる媒体で発してきた言葉や表現を、文脈から切り取って集めてきた箴言集になる。
ただ、冒頭でも筆者は述べているが、切り取った言葉の理解だけでは、三島の言った言葉が理解できないかもしれないリスクに関しては述べている。
本書の再引用になるが、
-文脈を離れた分は意味の確定が難しく、そこに意味を見出そうとすると、その文が最もよく使われる文脈で考えるしかない。
ということを、アメリカの解釈学者のスタンリー・フィッシュが述べている。
ただ、それはそれとして楽しめばよいとも筆者は述べる。読者個人の文脈に当てはめて読まれることを、三島の言葉は期待しているし、個人の固有の文脈に当てはまるならば、意味は読者自身のかけがえのない所有に帰するわけで、それがこうした箴言集の有益で不埒な愉しみ方なのだと筆者は言う。
三島の言葉は正直難解だ。自分の知的能力や読解力の乏しさにも大いに原因はあると思うが、ただそうした状態であっても、三島の言葉は、現代の我々にも未だに活力を与え、人生を充実させるエッセンスが詰まっている。
それが古典の魅力(三島文学を現状古典と呼ぶかどうかは議論が分かれるかもだけど)なのだろう。
個人的に、自分が印象に残った文章をまたピックアップしていきたいと思います。
☆男と女は別の生き物
―男らしさのナルシシズムは、賞賛する世間と相依存しているから、孤独から出発した男らしさが、結局、世間の要求する『男らしさ』の方にいつも自分をはめ込む結果になる。この意味で、真に独創的な英雄というものは存在しない。(P.52)
⇒非常に共感しますよね。自分も男である以上、承認欲求獲得のために努力をしてカッコよくなりたいと思いますが、それって結局世間の要求するものの枠組みなのだなと思うと、なかなか深く考えさせられるものがあります。
―男は粗衣によってはじめて男性美を発揮できる。ボロを着せてみて、はじめて男の値打ちがわかる、というのが、男のおしゃれの基本だと考えている。(P.54)
☆人の間に悪意は潜む
―死んでしまうと誰だって美化される。つまり我慢できるものになる。これは生存競争の冷厳な生物的法則であって、本当の批評家とは、こんな美化の作用の作用に騙されない人種なのであります。(P.61)
☆美しく恐ろしき若者よ
―私は青春時代の読書をつくづく振り返ってみるのですが、あれほど自己弁護のために読書する時代はありません。したがって逆に言いますと、読書がそれほど人生の助けになり、身につく時代もありません。
客観性を欠いた読書、批判の無い読書、そして自分のためだけの、自分の気に入ることだけを引っ張り出すだけの読書、自分で結論が決まっていて、その結論にこびるものだけを取り出す読書、若い人の読書はおおむねこういうものが多い。(P.97)