以前どこかのテレビで、三島由紀夫の日本語の美しさについて、評論家が熱く語っていたことがあった。
中学時代に『潮騒』、そして『仮面の告白』と確か途中まで読んでいた自分だったが、当時の自分は三島文学の美しさをいまいち理解できていなかった。そのため当時テレビを見ていても、『ふーん、そんなもんなんか』ぐらいにしかう思っていなかったのだが、今この年齢になって改めて三島文学を読むと、本当に鳥肌が立つくらいの感動を感じた。
昨年読んだ『金閣時』は、三島が31歳の時に上梓した作品。
おいおい、俺とほぼ同じ年齢じゃねえか、とマジで溜息。
もし三島が同年代でいたら、間違いなく自分にコンプレックスを感じて嫌いになってしまうと思う。
まさに表紙の通り、時代を先取りしすぎた男だと思う。
作家の小池真理子氏が、本書の中でこのように三島のことを語っている。
『三島の精神を彩ってきた狂おしさは、人として生きる上での真摯さにも通じる。自分のうちに狂おしさを内包していない表現者は、作家であれ、音楽家であれ、画家であれ、人の心をつかむことはできない。(P.80)』
三島が紡ぎ出す美しい日本語の文章に陶酔するのは、
『あ、俺ってわかってるかも』
って少しナルっぽく思うけれど、でもこうした感覚があるってこと自体には、自分の人間性に少しの可能性を感じさせてくれることも否定できない。
時代を先取り過ぎた男の文学。今でも色あせていないと思う。