とりま文系歯科医師が自己投資。

読書好きな開成、一橋大卒文系出身歯科医師のマイペースブログ。読書を中心に学んだ知識をアウトプットすることで、何か社会が少しでも変わればなと思い開設。好きなテーマは小説全般、世界史、経済学、心理学、経済投資など。筋トレも趣味です。

読書感想:『最先端研究で導き出された「考えすぎない」人の考え方』

 最近仕事もプライベートでも考え事が多く、悩みすぎて体調を崩すこともあり困っていたのですが、とあるYoutubeで本書を知り、興味があったので今回紹介する本書を購入して読んでみました。

著者は明治大学教授で、メディアにも多数出演されている堀田秀吾氏。

 

最先端研究で導きだされた「考えすぎない」人の考え方 (サンクチュアリ出版)

最先端研究で導きだされた「考えすぎない」人の考え方 (サンクチュアリ出版)

  • 作者:堀田秀吾
  • 発売日: 2020/08/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

 人類は他の生物と比べ、『考える能力』を身に付けているが、逆にそれが弱点になってしまうことがある。

 それは、『考えすぎてしまう』ということ。

 

 本書によれば、現代人は、中世の人間が一生のうちに処理していた情報量を、たった一日で処理をしているとのこと。

 ただ、そもそも世の中は不安でできている。

 何かを怖いと思う気持ちも、何かをしたいという欲求も、全ては不安から起きるものであり、これ自体のメカニズムは旧石器時代から何も変わっていない。

 

 考えることは決して悪いことではないが、現代は昔と違い、情報量が非常に多い時代。

『不安にならないようにしよう』と考えるのではなく、『不安とうまく付き合っていこう』と言う考え方を持つことが大事だと筆者は述べています。

 

 本書には考え方に関する研究テーマがいくつも紹介されているのですが、今回もその中から自分が特に勉強になった部分を紹介していきたいと思います。

 

―――――

(1)『今この瞬間』に意識が無いとき、脳は不安を呼び込んでしまう。

 ハーバード大学の心理学者キリングズワースギルバートの研究によると、

幸福に必要なことは、心身が集中することである』

科学誌『Science』に発表している。

 

 つまり、目の前のことに集中できていない時には、幸せを感じづらい。集中している時には幸せを感じやすいということ。

⇒時間を忘れるほど何かに集中していると、充実感があるのはそういうこと!

 

(2)思い出にひたると脳が老化していく

 理化学研究所の研究で、過去の記憶を長時間思い出すと、その記憶が脳にしまわれるときにタウというタンパク質が蓄積されることが分かった。

 しかもそのタンパク質は、脳に蓄積され続けると記憶障害を引き起こすことが明らかになったという。

⇒長時間過去の思い出にひたり、かつそれが頻繁になってくるほど脳が老化しやすくなる!

 

(3)感情はいろいろと複雑なものを味わった方が精神的に良い

 スペインのポンペウ・ファブラ大学のクオイドバックらの研究によると、感じる感情が多様である、様々な感情が沸き上がってくる人の方が精神衛生的にも健康で、幸福度が高いことが分かった。

ラクなことや嬉しいことだけを経験するだけでなく、様々なことを経験し、多様な感情を味わいながら、有るがままを受け入れていくことが究極の幸せということ。

 

 自分自身も決して考えすぎず、幸福度を高めながら生きていきたいと思うようになりました。笑

読書感想:『楊令伝』第一巻

―――――――

おことわり

 今回から以後、自分が現在継続して読み続けている、北方謙三氏の楊令伝の読書感想を書き記していく予定です。

 『楊令伝』は前作『水滸伝』に引き続き、『岳飛伝』へと繋がる、『大水滸伝』シリーズの一つで、ストーリー背景を描写する上で、多少のネタバレが生じてしまいます。

 有り難くも本ブログをご覧いただく際には、その点をご理解いただけると幸いです。

―――――――

 

 前回のブログで、自分が高校生の頃出逢った『水滸伝』の続編、『楊令伝』を10年ぶりに読み始めたと書いていましたが、何故かその時途中の第一巻で読書が止まっていたので、今回改めて読みなおしてみました。

 

楊令伝 一 玄旗の章 (集英社文庫)

楊令伝 一 玄旗の章 (集英社文庫)

 

 

 

  楊令伝開始時点での時代背景はこちら。 

【『水滸伝』までのあらすじ】

 時代は北宋末期、政治が徹底的に腐敗していた時代。

 民の窮状を憂いた豪傑が、国家の支配を覆さんと、『替天行道』の旗を掲げた梁山泊を結成。宋軍に果敢に立ち向かい、激しい闘いを繰り広げる。

 しかしながら、対する宋の最強軍人、童貫率いる禁軍によって梁山泊は劣勢に陥り、ついに陥落。

 官軍に包囲され炎上した梁山泊の下で、当時の梁山泊の頭領だった宋江は、今回の主人公楊令に、『替天行道』の旗を渡す。

 旗を受け取った楊令は、瀕死の宋江に止めを刺し、その後敵中を駆け抜けた。

 人が生きるということは何なのか、それを問うために。

 

 

 第一巻では、初期梁山泊の中で、命を失わなかった豪傑たちと、心身ともに変化した楊令のその後が描かれます。

 命を失わなかったと言っても、その想いはそれぞれ。

 なぜ自分だけ生きながらえているのか、自分より生きるべき人間が死に、自分だけ生きているのかと、自分の『』に苦悩する人間もいて、』だけでなく、『』においても葛藤する人間の姿が印象的です。

 また、梁山泊の敗北から、大きく世界観や人生観を変えた人間も多くいました。

 

 一番印象的なのは呉用です。呉用初期梁山泊での軍師でしたが、打算的なところもあり、他の英雄たちに比べ、周囲に好かれていませんでした。

 その呉用は、炎上した本拠地で死んだと思われていたのだが、実は生存していた。顔は大きく焼けただれた状態になりながら。

 自分より戦闘力が優れ、有能な英雄たちが身近にいる中で過ごし、密かに葛藤はあったのでしょう。自身に劣等感がありながら、そうした英雄が数多く戦死する中で、呉用だけはなぜか死ぬことが出来ない。

 』における強烈な試練を持っているのが呉用であり、個人的には大変興味深いキャラクターだと当初から思っていました。

 

 非常に不思議なもので、10年前は正直呉用のことが嫌いでした。

 それが10年経ち続編を読み返すと、何故か嫌いだったキャラクターの考え方に共感する自分がいます。非常に感慨深いものが有るなあと。

 

 楊令は宋より北の地で、幻王と名乗り苛烈な戦闘を繰り広げていました。生き残った梁山泊メンバーが、楊令を迎え入れようとします。

 

―『あなた方と、話をしなければならない時機が、いま来てしまったのですね』

幻王の視線が横にそれ、それから空に向いた。しばらく、幻王は空を見つめていた。戻ってきた視線には、ただ悲しみの色があった。

 

 第一巻はここで終わります。

 第二巻からは、梁山泊及び対峙する官軍側にも、新たなキャラクターが登場します。

読書感想:『ラッシュライフ』

 お疲れ様です、春もだいぶ本格的になってきましたね、スナフキンです。

 

 前回に引き続き、今回も伊坂幸太郎氏の小説の読書感想を。

 10年ほど前から読むようになった伊坂幸太郎氏でしたが、当時読んでいなかった過去の作品も数多くあるので、少しずつ読んでいこうと思います。

 

 今回紹介するのは、ラッシュライフという、言わずと知れた有名作。

(すいません、ファンの方からしたら今更感があるかも知れないですけど、この度初めて読みました汗)

ラッシュライフ (新潮文庫)

ラッシュライフ (新潮文庫)

 

 

 

 あらすじは以下のような感じです。

――――――

 物語は5つの視点で進んでいく。

①拝金主義者で、自分の欲しいものを手に入れるにはどんな手も使う画商戸田と、それに支配されつつある女性画家志奈子

 

②空き巣を生業とするが、どこか粋な行動をする泥棒黒澤

 

新興宗教の教祖高橋に惹かれている画家志望の原崎と、指導役の塚本

 

④それぞれの配偶者を殺し、後に結婚する計画を練る女性精神科医京子と、サッカー選手の青山

 

⑤連続で不採用の目にあい、失業中で途方に暮れている豊田

 

 それぞれの物語が進行していき、初めは全く関わりの無い人々と思っていたのが、最終的にとある出来事を通じ、加速度的に関連性が解明されていく…。

――――――

 

 表紙でもフワちゃんが書いているが、本作は、

小説と言うよりもはや騙し絵

という比喩が非常に的を得ていると思います。

 

 小説の内容を全く知らなかった時には、一体何のことを話しているのか分からなかったが、読み終えるとまさに、騙し絵と言うのが分かります。

 オーデュポンの祈りに続き、本作は伊坂氏の2番目の作品。

 言ってしまえば、伊坂作品の特徴が滲み出ている作品なのではないでしょうか。

 今後も伊坂氏の読み残した名作を読んでいきたいと思いますので、読んだことのある皆さんも、色々ご紹介いただければと思います。

 今後ともどうぞよろしくお願いします。

読書感想:『キャプテンサンダーボルト 新装版』

 こんにちは、スナフキンです。

 読書感想を書くペースがだんだんゆっくりになってきましたが、ストレスにならない範囲で、自分の記憶に残していきたい作品を引き続き書き残していきたいと思います。

 

 今回紹介するのは、阿部和重氏と、伊坂幸太郎氏共著の

キャプテンサンダーボルト

と言う作品。

 

 あらすじを簡単にご説明すると、こんな感じ。

――――

 主要人物の相葉時之井ノ原悠

 二人はかつての少年野球チームメイトであり、性格や価値観は異なるものの、いいコンビとして交流があったのだが、高校時代の過去の出来事をキッカケに、決定的に関係が壊れてしまう。

 

 以降、二人は全く交わることがなく年月が過ぎる。

 相葉は後輩を救うためにヤクザがらみの案件に首を突っ込み、巨額の借金を背負う。

 また井ノ原は、身体が弱い息子の通院費用を捻出するために、とある副業をしていた。

 

 そんな中、借金返済のために一攫千金を狙った相葉は、手違いからテロリストに命を狙われる。絶体絶命の中、井ノ原はと再会したことで、物語が動き出す。

 

 舞台は蔵王御釜

 過去に発生した感染症の『村上病や、戦時中墜落したB29、そして公開中止になった特撮映画など、様々なファクターが絡み合い、最後まで急展開の手に汗握る小説となっている。

――――

 

 小説を共著で制作するというのは非常に少ないような気がしますが、その影響もあるのでしょうか、ストーリーが非常に急展開を起こし、最期までどんな結果になるのか気になる作品になっていました。

 

 本作品は、阿部氏と、伊坂氏のお互いのリスペクトによってできた作品なのでしょう。

 文庫本の巻末に、両氏の特別対談があるのですが、伊坂氏は阿部氏に対して、

純文学のエースであり、憧れの存在

と評し、一方の阿部氏は伊坂氏のことを、

ロケットのように飛んでいって(人気になって)、あっと言う間にキラキラした存在になった

と語っており、2010年6月にお会いした、との経緯が記されています。

 

 そんな両氏ですが、共通した部分はいくらでもありつつも、読者にとっても非常に興奮したのが、

村上春樹に立ち向かう』

という目標を持っていたこと。

 

特別対談で両氏はこのように述べています。

-阿部:村上春樹は僕らの世代の作家にとって、上空を遮っているUFOのような存在で、これを超えていかなくちゃいけない、という話ですね。

伊坂:そう。大雑把に言うと、世界で注目される日本人作家というのは春樹さんくらいじゃないですか。でも、春樹さんは僕らより二回り近く年上で、感じ方や捉え方は違うし、僕らがそこに立ち向かわないといけない気がして。

 

 小説の内容を楽しむことを主とする読者にとっては、各々の作家が目指す目標や方向性というものを、知る機会自体はあまり多くないと思うのですが、こうして現在人気の作家のモチベーションを知れるというのは何だかワクワクしたものが有ります。

 

 また、この作品の打ち合わせ時には、東日本大震災という忘れられない出来事がありました。

 加えて、昨今ではコロナウイルスの流行により、本作の持っているメッセージみたいなものが決して色褪せることなく、今に通じている、そのように語ってもいます。

 

 両氏ともに、ある種の危機意識についての小説を書き続けており、

世界をどうみるか、どの角度から見るか、そこに何を感じて、その中でどう生きていくかということを、本作は提示してくれる、そのように阿部氏は語っていますし、伊坂氏も、間違いなくこの十年の代表作の一つと語っている。

 

 人気作家の挑戦作であると思って読むと、また新しい見方が出来るのではと思います。

読書感想:『三島由紀夫レター教室』

 以前に書いたブログ記事で、時代を先取りしすぎた男として、三島由紀夫のことを紹介しましたが、今回もそんな三島作品の一つを読了したので感想を残していきたいと思います。

booklovers45.hatenablog.jp

 

 

 今回紹介するのは、

三島由紀夫レター教室

と言う、少し三島文学の中でも特徴的な作品。

三島由紀夫レター教室 (ちくま文庫)

三島由紀夫レター教室 (ちくま文庫)

 

 

 

 当時スマホもパソコンもなく、遠くにいる人間の心情の意思疎通を図るために、手紙が主として使われた時代、人々はどのように感情の機微を描いたのであろうか。(ちなみに作品自体は1974年に刊行)

 

 本作は、架空の5人の個性的な登場人物が、代わる代わる手紙を通じてやり取りを行い、それが最終的に一つのストーリーとして繋がるというお話。

 

 ただ、その書き言葉の中に、日常生活における、悲しみや笑い、また上品ぶるわりには、お互い憎しみあったりと、千変万化の人間の感情をリアルに描き出しているところが、三島由紀夫の才能なのではと感じるころ。

 手紙一つ一つが、完結した世界なのであるが、それを縦横無尽に使って人間のリアルさを描いているのが素晴らしいと感じました。

 

 巻末の解説でも、作家の群ようこ氏が、登場人物の一人、氷ママ子の文章表現を引用しているが、とても印象深い。

 氷ママ子は、自宅で英語塾を経営している、45歳の未亡人。昔自分が美人であったことを忘れられる、上流を気取っている女性なのですが、この人の発現は非常に共感するところが多かったです。(三島氏の登場人物紹介に書かれている文章を、編集改変したもの)

 

-ともすると、恋愛というものは『若さ』と『バカさ』をあわせもった年齢の特技で、『若さ』も『バカさ』も失った時に、恋愛の視覚を失うのかもしれませんわ。

 

 三島作品の中では比較的読みやすいのではないでしょうか。今後も色々読んでみたいと思います。

古典を学ぶことは本当にオワコンなのか?

 先日のとある記事で、ちょっと気になるものがあったので、今回はそれに関して検証をしたいと思います。

 

 内容としては、元2ちゃんねる管理人で、実業家のひろゆき氏が、

『古文・漢文はもはや不必要で、それ以外の教育と入れ替え、古文・漢文に関しては、やりたい人がやればいい』

という主張が展開されていたのですが、それに関して、同意の声が多かったということで、自分自身思うところがあり、今回ブログを書かせていただきました。

 

 内容としてはこんな感じです。

www.tokyo-sports.co.jp

-元2ちゃんねる管理人で実業家のひろゆき氏がブチ上げた古文・漢文「オワコン論」がネット上で大きな話題となっている。

 

 古文・漢文は大学入試でも扱われ、四苦八苦した受験生も多いハズ。

 そんななか、ひろゆき氏は19日にツイッター「古文・漢文は、センター試験以降、全く使わない人が多数なので、『お金の貯め方』『生活保護、失業保険等の社会保障の取り方』『宗教』『PCスキル』の教育と入れ替えたほうが良い派です」と提言。続けて「古文漢文はやりたい人が学問としてやればいいだけで必須にする必要ないかと」と私見と綴った。

「オワコン論」がネット上で大きな話題となっている。

 

 

 正直、こうした『古典不要議論』は、昔から少なからずあったのだと思います。

 ただ、改めてこうして問題提起をされると、これに対して真っ向から理論的に反論できる論拠を挙げられるわけではなく、自分自身、色々考えてしまいました。

 

 ただ、何れにしても、こうした主張に対して、やはり個人的に違和感を覚えるのは事実なのですね。

 

 確かに、ひろゆき』氏の言う、お金やPCスキル、宗教などと言った『実学志向』重視の考え方は、決して一概に間違っているとは言えないと思えます。

 

 しかしながら、これは自分の中でゆるぎないものとして主張できるのですが、

『本来イノベーションは、徹底した基礎の反復・反芻の中で生み出されるもの』

ではないかな、と思っています。

 

 古文・漢文と言った古典派は、間違いなく、人生を生きる上でのヒントを提供してくれると思っています。

 そしてその根底にある本質は、実学的な損得勘定で判断できるものではないが、決して無下には出来ない、重要なものであると自覚しています。

 

 もし、今後日本が人的資本の質の向上を図るなら、最低限の基礎としての古典の知識は必要なのではないか、決して誇張ではなく、そのように感じます。

 

 一見意味の無いようなものが、じつは本質的に大事だったりする、そうしたものであるのかなと思います。

 

 とはいえ、『ひろゆき』氏の言う、実学に関する教育の在り方は議論されても良いのかもしれません。

 古典と実学。これらを二律背反のモノとして捉えるのではなく、お互いに連関し合う重要なファクターとして考えることこそ、これから求められる姿勢なのではと感じました。

読書感想:『JR上野駅公園口』

 お疲れ様です、スナフキンです。本日も感動した小説をご紹介したいと思います。

 今回紹介する小説は、最近メディアで話題になった、柳美里氏著、

JR上野駅公園口

という作品になります。

 本作は全米図書賞』という、アメリカで権威のある文学賞を受賞した作品であり、書店でもかなりの冊数が積み上げられており、話題の大きさが伺えました。

 

JR上野駅公園口 (河出文庫)

JR上野駅公園口 (河出文庫)

 

 

 

 本作のあらすじを、ネタバレにならない程度に簡単に説明します。

-主人公となるカズは、1933年、天皇』と同じ日に生まれた肉体労働者。福島県相馬郡(現・南相馬市)で生まれ、カズは東京オリンピックの前年、出稼ぎのために上野駅に繰り出してきた。

 物語を通じカズは、身近にいる多くの人間との別れを経験する。

 そして様々な紆余曲折を経て、最終的にカズは上野の路上生活者となってしまうのだが、本作はそんな主人公の生涯を通じ、現代社会における光と闇を見事に表出させている。

 

『-多くの人々が、希望のレンズを通して東京オリンピックを見ているからこそ、私はそのレンズではピントが合わないものを見てしまいます。

「感動」や「熱狂」の後先を-。(P.170)』

あとがきで著者の柳美里氏は、このように述べている。

 

 実際に、ホームレスの人々の間で山狩り』と呼ばれる、皇族が往来する行幸直前に行われる、『特別清掃』と言う名の、ホームレス排除の作業があるらしい。

 著者の柳美里氏は、その実際の現場を取材したと記しているが、私自身、こうした行為が実際に行われているのは全く知らなかった。非常に自分の無知を悔いた場面でした。

 

 日本の政治学者・哲学者で、放送大学教授、明治学院大学名誉教授を務めている原武史氏が巻末に解説を記しているが、非常に深い熟考を促す問題提起がそこに示されていました。

 

 小説の中のある場面で、現天皇と現皇后を載せた車が、上野の公園にいた、ホームレスの主人公に近付く場面がある。

 主人公は、過去に幼少時代、地元の原ノ町昭和天皇を奉迎した原体験があったのだが、その際、陶酔感がよみがえったという、まるで逆説的な体験をしている。

 

「本来ホームレスである主人公は、いわば天皇制』の枠組みによって排除されているにも関わらず、その天皇制の呪縛から一生逃れることが出来ない運命にいる」

 原氏はそのように述べている。

 主人公が『』であるなら、天皇と言う『光源』によってのみ、その存在が浮かび上がる。

 

 これを原氏は、

天皇制の〈磁力〉が強まっている」

と示しているが、いずれにしても、著者柳美里氏が、『光』のレンズを巧みに扱い、本来我々が忘れてはいけない『影、闇』の部分を非常に効果的に演出していることは事実であると思う。

 

 最後の結末をここで述べることは控えるが、本作は東日本大震災の史実も、とても重要なファクターになっている。

 

 「熱狂」や「感動」を決して否定するわけではないが、そうしたキラキラしたものに隠される、『影、闇』と言ったものにも関心を寄せられるような人間になりたいと思うようになりました。

Copyright ©とりま文系歯科医師が自己投資。 All rights reserved.

プライバシーポリシー