今日の感想はまた古典の本です。
自分は古典の本を読むとき、デザインが綺麗で文字も大きく読みやすい理由から、『光文社古典新訳文庫』の本をよく読むのだが、今回はその文庫を書店で眺めていた時、目に留まって買ってみた本である。
ちなみに、自分なりの古典の魅力について書いたブログは下のブログ。
本書は、古代ローマ帝国の哲学者セネカの思想や言葉に触れられる本である。
セネカは紀元後1世紀の激動のローマ時代に生きた哲学者である。安定した政治を行った初代ローマ皇帝のアウグストゥスの亡き後、内乱で乱れた困難な時代、暴君と歴史上で名高いネロの家庭教師として教育に携わり、政治を補佐した人間であった。
しかし、最終的にはセネカは謀反の嫌疑をかけられ、自ら絶命してしまう運命をたどった人間である。
セネカは、古代ギリシアで生まれたストア派哲学を支柱にしていたため、本書はそうした理性的で禁欲的な哲学概念を学ぶことが出来る。その一方で、そのストア派哲学が理想的で硬直したものでは決してなく、むしろ現実の人間にも実践的に用いることが出来るものなのだということも理解できる本である。
本書は3つの作品から構成されている。
・パウリヌスという人物に宛てて綴られた『人生の短さについて』
・コルシカ島に流されてた時に母に宛てて綴られた『母ヘルフィアのなぐさめ』
・ネロ帝の時に親しかった親友セレヌスに向けて綴られた『心の安定について』
ここでは自分が印象に残った、『人生の短さについて』について書き記そうと思う。
セネカがいうことには、本来の人間の人生は長い。けれども、多くの人間は人生を『多忙』により浪費している。
ここで言う『多忙』とは、日々の仕事や雑事に翻弄され、それにより自分の心を失っている状態のことを指す。
セネカはそうした『多忙』な生活から離れて、『閑暇』な生活を送るべきだと主張する。
『閑暇』とは、ただ単に暇なだけではなく、自分自身と向き合い、英知を求め、英知に従って生きることだとセネカは説く。
ここにストア派哲学の価値観が含まれているのだろう。
-すべての人間の中で、閑暇な人と言えるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。そのような人だけが、生きているといえる。というのも、そのような人は、自分の人生を上手に管理できるだけでなく、自分の時代に、全ての時代を付け加えることが出来るからだ。(14.1)
セネカは時間についてこのように述べている。
現在は短く、未来は不確かで、過去は確かなものであると。
だからこそ、短い現在を向き合うためにも、過去の英知に向き合い、『閑暇』な生活を送ることで、現在の短いこの瞬間も、充実して生きていけるのだというのだろう。
そもそも、古典を学ぶことって、まさにセネカの言っている『過去の英知に向き合う』ことなのかもしれない。
セネカの時代からもはや2000年近くも経っているものの、現代人も『多忙』な生活により、自身と向き合うことが困難な状態でいる。
最後なんか教科書のテンプレみたいな感想になってしまったが(笑)、過去という時間にしっかりと向き合っていこうと改めて思う。
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