お疲れ様です、スナフキンです。
今回は、なかなか読み応えのある、勉強になった哲学書についてご紹介したいと思います。本日ご紹介する作品は、國分功一郎氏著、
『暇と退屈の倫理学』
という哲学の本。
哲学とは、問題を発見し、それに対応するための概念を作り出す営み。
この本は、人間にとって、退屈とは何か、現代消費社会の暇と退屈が抱える本質を鋭く突いた哲学書になります。
人類は様々な対立や悲劇を乗り越え、豊かさを目指して発展を遂げてきました。
だが、豊かさが達成されると、逆説的に人が不幸になってしまうという証明がされている。
イギリスの哲学者バートランド・ラッセルが1930年に、『幸福論』で以下のように述べている。
『いまの西欧諸国の若者たちは自分の才能を発揮する機会が得られないために不幸に陥りがちである。』
つまり、人々の努力により、社会が豊かになると、人はやることがなくなって不幸になるのではないか、ということを示唆しています。
また、経済学者ジョン・ガルブレイスが1958年に、『ゆたかな社会』で述べたことを引用すると、
『現代人は自分が何をしたいのかを自分で意識することが出来なくなってしまっている。広告やセールスマンの言葉によって組み立てられて初めて自分の欲望がはっきりするのだ。』
とも述べられている。
資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人間は豊かになった。
だが、暇を得た人々は、その暇をどう使って良いのか分からない。何が楽しいのか分からない。自分の好きなことが何なのか分からない。
そこに資本主義がつけ込む。文化産業が、既成の楽しみ、産業に都合のよい楽しみを人々に提供する。今は、労働者の暇が搾取されている。
本書は、資本主義の中で生み出された、暇や退屈とどう向き合い、生きるべきかという問いに対して様々な考察がなされています。
筆者も最後の結論でも述べているのですが、こうした〈暇と退屈の倫理学〉の考察の試みには、それぞれの人間が論述を通読し、考察することによって見方が獲得できるものだと述べています。
そのため、ここで端的に方向性を指し示すのは、あくまで僕が見た方向性になってしまうので、もし気になる方は本書を通読されることをおススメします。
最終的にはハイデッガーの『形而上学の根本諸概念』に基づく退屈論を用いながら、退屈の方程式を導き出すのですが、非常に読み応えのある内容であるかと思われます。
また、少し副次的な知識になるのですが、個人的にとても印象深かった引用がありました。
引用先はポストモダンの代表的な哲学者、思想家のボードリヤールが述べたことでした。
ボードリヤールは、消費される観念の例として、『個性』に注目しました。
そして広告は消費者の『個性』を煽り、消費者が消費によって『個性的』になることを求める。それにより消費者は、自分がより『個性的』でなければならないという強迫観念に捉われます。
問題なのは、そこで追及される『個性』がいったい何なのかが誰にも分からない、ということ。
つまり、消費によって『個性』を追い求めるとき、人が満足に到達することは無いという衝撃的な事実が浮き彫りになります。
この考察は、明確に資本主義の本性を的確についているのではないのか、と強く感じました。
ボードリヤールの代表作、『消費社会の神話と構造』も、今度買って読んでみたいと思います。