言わずと知れたサマセット・モームの代表作。
現代文学だけでなく、古典文学も少しずつでも併行して読んでいこうと心がけています。
本作は、実在の画家ゴーギャンをモデルにした、ストリックランドという画家が、地位や名誉を捨て、画を描くために人生をささげた生涯を描いた作品。
実際のゴーギャン自身も破天荒であったが、作品中で描かれるストリックランドも、非常に一般人には理解の出来ないような行動、言動を行い、正に『天才』を表象したかのような姿を露わにする。
ただ、光文社古典新訳文庫の巻末にある、松本朗氏(上智大学准教授)の解説によれば、
『実際はストリックランドとゴーギャンの間には類似点より相違点の方が多く、この小説に描かれた芸術家像は、モーム独自の創作であると考える方が適切』
と述べている。
正直ゴーギャンに関して詳しいことは不勉強なので、実際のところはその点に関する妥当性はイメージが湧かない。
ただし少なくとも、作者モームは本作において、『ある天才芸術家の肖像』を描き、その内面に近づこうとしたと考えるという分析はその通りだと思います。
松本氏の解説から参考にさせて頂くと、モームは同時代の英米批評家から評価されていたが、それは主に芸術的・美学的観点からの評価であったという。
モームの作品に特異なかたちであらわれている時代性や国際性に関しては、そこまで評価されていなかったのではないか、と述べている。
松本氏の言葉を借りれば、モームは『卓越した時代の読み手』だったのだ。
ただし、ここが本作の面白いところ。
先ほど述べたように、モームは『ある天才芸術家の肖像』を描き、その内面に近づこうとした。
しかし、世界の変容と言う外枠の中にこの『ある天才芸術家の肖像』を入れてみると、皮肉にも、芸術家や芸術が神聖なるものとして擁護される時代は過ぎ去ったことが明らかになる。
つまり、この小説は、第一次世界大戦前後の世界における芸術の位置づけを巨視的にみつめ、芸術や芸術家の意味が、資本主義や大衆消費社会の発展によって変化を余儀なくされていることを浮き彫りにしている。
松本氏はそう本作を読み解いているが、本作は、見方を変えれば違った価値観が浮かび上がってくる、非常に重層的な作品なのだと思う。
それが今も読み継がれている所以なのでしょうが、今後モームの他の作品にも積極的に触れてみたいと思います。