書店に立ち寄った時に、タイトルに惹かれて購入した本。
『人体』をテーマに進化の本質を描く、知的エンターテインメント本である。
我々は『進化』ということについて一般的に、レベルやグレードが上がっていくことを想像しがちだけれども、進化論の枠組みの中で考える『進化』というものはちょっと違っていたりする。
自分も進化論についてしっかり勉強したのは高校2年の時だし、その時も記述式の生物のテストで減点を食らっていたので、説明自体は不十分なところがあるかもしれないが、基本的には、
『進化とは、今生きている環境の中で、他種との生存競争に勝ち抜けるように変化していくこと。』
と言うのが一般的な説明。そして、それが本当にその個体に取ってグレードが上がったかどうかは別の問題ということだ。
また、生物の分野から見ても、
『ヒトは一人の意思だけでは生きていけない』
のだな、と言うのを強く感じる。
ヒトと腸内細菌の関係を記した箇所があったところも興味深かった。
我々が排泄している便は、半分ぐらいは腸内細菌の死骸(生きている細菌も含む)であり、その他の大部分は剥がれ落ちた自身の粘膜上皮細胞であり、食物のカスはほんの一部。
ヒトは体内に相当の腸内細菌を宿しているのだ。
腸内細菌を宿すことで、消化を助けてくれるほか、食物と一緒に入ってきた最近に我々が感染するのを防いでくれるのだ。
ただ、そうした腸内細菌に栄養素をすべて失われすぎないようにする仕組みが人間に備わっている。
消化には管腔内消化の他に、膜内消化という仕組みも存在する。
腸内細菌が存在するため、管腔内消化で糖を単糖のグルコースまで分解すると、自身に取り込む前にほとんどを腸内細菌に取り込まれてしまう。そのため、管腔内消化と言った仕組みにして、腸内細菌に対して、過度に栄養素が行くのを防いでいる。
もっとも、ヒトが膜内消化である理由は、浸透圧の関係なども考えられているが、いずれにせよ、ヒトと腸内細菌のこの微妙な関係は、とても神秘的な感覚を覚えるのは自分だけであろうか。
生命はいずれ死んでしてしまうから『進化』する。
でも、そうした『進化』のプロセスの中に、我々の想像を超えたカラクリをのぞき見するのはとても興味深い。
あまり過度な価値を『進化』に見出さず、シンプルに考えていくのがベターなのだということを学んだ。
印象に残った文章を少し引用。
-私たちはいろいろなことを考えながら生きている。もちろん、夢を追ったり、人のために努力したりするのは尊いことだ。(中略)しかし調子が悪いときは、前向きに生きられないこともある。さまざまな事情で自由に生きられない人もいる。そういうときには、私たちは人間である前に、生物であることを思いだすのも良いかもしれない。生物は生きるために生きているのだから、私たちだって、ただ生きているだけで立派なものなのだ。何もできなくたって、恥じることは無い。そんな生物は、たくさんいる。(P.21)