とりま文系歯科医師が自己投資。

読書好きな開成、一橋大卒文系出身歯科医師のマイペースブログ。読書を中心に学んだ知識をアウトプットすることで、何か社会が少しでも変わればなと思い開設。好きなテーマは小説全般、世界史、経済学、心理学、経済投資など。筋トレも趣味です。

読書感想:『人生を面白くする本物の教養』

 最近気持ちが少し沈んだりすることがあり、休日にも慢性的に疲労が蓄積していて、無気力で何もしたくないという時がありました。

 

 何かしなきゃ、と思うと逆にプレッシャーになるので、出来るだけそうした時期は休息の時間をしっかり取ろうと思っているのですが、そんな時に心の支えになってくれるのが、やはり本なのだなと実感しました。

 

 特に、何十年も何百年も、無数の人々の眼力に耐え、人類の経験知の集積として評価されているものが古典であり、人生の指針に迷ったときには、自分も積極的に古典を読むようにしています。

 

 今回ご紹介する本は、現立命館アジア太平洋大学学長で、生粋の読書家として有名な出口治明氏の、

『人生を面白くする本物の教養』

という著書です。

 

 

 本書で出口氏も、古典の優位性について説明がされています。

 出口氏は教養のことを、

人生を面白くする生き方の問題

と捉えています。

 また、グローバルなビジネス社会を生きる上での武器にもなり、そして何より、人生を面白くするためのツールであると記しています。

 

 多くの人が近いことを語っていますが、とても共感するのは、教養というものを培うのが、『本・人・旅』であるということ。

 特に本はその中の割合でも5割を占めており、非常に有益なツールであると示しています。

 

 冒頭で出口氏は、ココ・シャネルの発言を引用しています。

-私のような大学も出ていない年をとった無知な女でも、まだ道端に咲いている花の名前を一日に一つぐらいは覚えることができる。一つ名前を知れば、世界の謎が一つ解けたことになる。その分だけ人生と世界は単純になっていく。だからこそ、人生は楽しく、生きることは素晴らしい。(P.14)

 

 

 特に自分が体力的精神的に疲れていた、と言うのもあったのですが、この生きることを楽しくさせてくれるシンプルな発想が、非常に胸に突き刺さりました。

 

 読書が趣味で良かったと思います、これからも少しずつでも、生きる楽しみを見つけながら人生を歩んでいきたいと思います。

読書感想:『どうやら僕の日常生活はまちがっている』

 大好きなお笑い芸人ハライチ岩井勇気氏の、2冊目の書籍を読みました。

 初版は2021年の9月なので、少し読むのは遅れてしまいましたが、前回の書籍が面白かったので、今回も是非買って読んでみようと思い購読。

booklovers45.hatenablog.jp

 

 

 

 

 冒頭でも筆者が述べているとおり、本書は、芸人として今思うことや、自分の人生を振り返って感じることなどの“身削り自叙伝”ではない。

-ただの35歳の独身男が、一人暮らしを送る。買い物に行ったり、習い事をしたり、引っ越しをしたりする。そんな取るに足らない毎日をつらつら書いてやる。

という気持ちで書いたのがこの本。

 

 特別な事件など起きず、いわゆる平凡な日常生活でも、意外に刺激的だったりする。そんな視点を気づかせてくれるのが、この本を読んで心地いいのだろうなあ。

 

 自分自身、年齢も大体岩井さんと近いし、内容を読んでもなかなか共感できることが多い。そんなのも面白いと感じる部分なのでしょうね。

 

-セオリーというものには、いつもその通りにいく良さと安心感があるが、どこかで裏切って欲しい気持ちもある。しかし本当に裏切られた時、僕らはセオリーの良さに気付くのだ。

 

 日常の中でもこうした視点を持つのは、さすがプロの芸人なんだなあと思いました。

上野の東京国立博物館の特別展、『ポンペイ展』を鑑賞しに行きました。

 お疲れ様です、スナフキンです。

 先週のことになりますが、上野の東京国立博物館で特別展として開催された、

ポンペイ展』

を鑑賞してきました。

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 紀元後79年、ヴェスヴィオ火山の噴火により、火山灰の下に埋もれてしまった悲劇のローマ帝国の街ポンペイ

 古代ローマ半島の南部ナポリ近郊にあったこの街は、1748年に発見されて以降、発掘が進むにつれて多くの貴重な情報が解明されてきました。

 

 本展はポンペイから出土した多くの資料を所蔵するナポリ考古学博物館の協力のもと、日本初公開を含む約150点もの作品が紹介されています。

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 最終的にはローマの植民市になった都市なので、もちろん帝政ローマの時代詳細が分かる貴重な名品に出逢えます。

 

 ただ、個人的にワクワクしたのは、それだけではありません。

 ポンペイが都市として大きく発展したのは、前2世紀のサムニウム人の時代。その際に地中海世界との交流が活発になり、ポンペイにもヘレニズム文化が根付きました。

 (ヘレニズム文化アレクサンドロスの東方遠征後成立した、オリエント的要素ギリシア的要素の融合した文化のこと。主な担い手は都市のギリシア人でありギリシアの影響が強いが、民族の枠を超えた世界市民主義的性格も持っていた。)

 

 

 帝政ローマの征服により、次第にローマ化していく中でも、ギリシアやヘレニズムの文化が色濃く反映されたポンペイの社会、そうした重厚的な歴史の魅力を感じられたことが、非常に印象的でした。

 

 中でも、ポンペイ最大の邸宅であった『ファウヌスの家』における、

アレクサンドロス大王のモザイク』

の超大作が、ポンペイの街で発見されたということが感動。

 

 前333年のイッソスの戦いで、東方遠征を前年に行ったアレクサンドロス大王が、アケメネス朝のダレイオス3世を破ったことで有名なこのモザイク。世界史の資料集にも良く載っているこの作品がこちらで出土したことは初めて知りました。

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 本作自体は映像のみでの紹介にはなりますが、2021年1月末からナポリ国立考古学博物館で修復作業が始められているということです。

 

 

 歴史を肌で感じ取ることのできるミュージアム見学は非常に楽しいものです。

 コロナ禍が続きますが、感染対策に気をつけながら、今年も積極的に足を運んでいきたいと思います。

好きな百人一首紹介 ~Part4~

 お疲れ様です、スナフキンです。

 以前自分の好きな百人一首の和歌を何作か紹介していたのですが、改めて詠み返してみると、その他にも魅力的な作品がいくつもあり、定期的に書き記していきたいと思いましたので、また再びご紹介していきたいと思います。

booklovers45.hatenablog.jp

 

 

 今回の作者は、古今和歌集を編纂し、『仮名序』を著した大歌人紀貫之の作品。

〈第35番〉

人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける

 

(訳:人の心は変わりやすいものだから、今のあなたの気持ちは、さあどうだか分かりません。しかし、この古くから慣れ親しんだ場所の梅だけは、昔のままの懐かしい香りで私を迎えてくれます。)

 

 この歌は、紀貫之大和国(現在の奈良県)の長谷寺に参詣するために泊まっていた宿を訪れたときに詠んだ歌と言われている。

 その宿の主人が、

『宿はここにいつもあるのに、あなたはとっても久しぶりではないですか』

と皮肉を言ってきた。

 それに対して貫之はこの歌を詠み、そばに咲いていた梅の枝を折り、それを渡したと言われている。

『人の心は変わりやすいものだけど、昔なじみの里の梅だけは、昔のままの懐かしい香りを放って私を迎えてくれる』

という貫之のウィットに富んだ、当意即妙な返初めてこの歌を理解した時、非常に上手いと唸ってしまったことを覚えています。

 

 この歌の相手が、男性か女性かは分からないそうです。

 どちらとも取れるとは思うのですが、これが女性だと、『昔のままの懐かしい香り』を放ってくれているのは貴女ですと、二人の間の遠い昔の恋愛を暗示していたかもしれないと思うとなかなかロマンチックですね。

 

 読み手に想像をかき立たせる和歌の魅力、大人になるにしたがい、より味わい深く感じられるようになってきた気がします。

 

読書感想:『アウシュヴィッツの地獄に生きて』

 お疲れ様です、スナフキンです。

 本年一冊目の作品は、

アウシュヴィッツの地獄に生きて』

という、強制収容所に収容され、その後生還したジュディス・S・ニューマン氏回顧録を拝読させていただきました。

 

 新年から戦争関連、特に強制収容所の筆舌に尽くしがたい現実を述べた本と言うのは、かなり精神的にも重たいものが有り、しっかり読むのにはかなりの体力が要ります。

 しかしながら、決して目を背けてはいけない人類の歴史がそこにはあります。

 ゆっくりとした時間が確保できるこの時期だからこそ、しっかりと読むことにしました。

 

 回顧録の当事者であるジュディス氏は1919年生まれのユダヤ人。第2次世界大戦中にアウシュヴィッツ収容所(ポーランド語ではオシフィエンチム)に収容される。

 ここでは、1940年6月から1945年1月までの4年7か月の間に、約110万人が犠牲になったとされている。(正確な人数は分かっていない。)

 

 

 実はこの私も、ちょうど10年前の2012年、アウシュヴィッツ収容所を訪れたことがあります。当時は一橋大学の4年生であり、中学生時代から絶対に行きたいと思っていたこの地を見学するため、一人旅でポーランドを訪れた経験があります。

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(当時2012年に自分が訪問した時の写真)


 多くの方がご存知の通り、収容所内では、同じ人間が本当に行ったのか理解できないくらいの理不尽で凄惨かつ、人間の尊厳をことごとく踏みにじるような非人道的行為が行われました。

 今でも鮮明に自分のことを記憶しています。

 人間は、自分の想像のキャパシティを超えた恐ろしい出来事を学び考察すると、恐怖を超えた冷静さを獲得するのだと。

 実際、目の前には凄惨な遺品や遺骨などの資料があるにも関わらず、淡々とその資料を見学していた自分がいました。

 そんな自分を俯瞰し、客観的に恐ろしいと思ったことを覚えています。

 

 普段はいくら理性を持っていても、人間は何を行うか分からない。ある意味恐怖を感じたのを覚えています。

 

 ジャーナリストの安田菜津紀が巻末の解説を書いているのですが、その中で、かつて収容を生き延び、35年間アウシュヴィッツ収容所の館長を務めたカジミエシュ・スモレン氏の言葉を引用しています。

 

『君たちに戦争責任はない。でも、それを繰り返さない責任はある』

 

 戦争をもはやイメージでしか捉えることが出来なくなっている現役世代、そうした我々が丁寧に人間の恐さと向き合い、二度と悲惨な歴史を繰り返さないための英知を世界中で振り絞らなければいけないと思います。

 令和に生きる日本の人々も、少しの時間でも良いので考え続けていかなければいけないと思います。

本年もマイペースな自己投資ブログをよろしくお願いします。

 お疲れ様です、スナフキンです。新年あけましておめでとうございます。

 早いもので、ブログを開設して今年で3年目になりました。

 自分の読書や旅行、その他自分に関する学びの記録を記したとりとめのないブログですが、それでもここまで消さずに続いてきたので、まだまだこれからもマイペースに記事を書き続けていこうかなと思います。

 

 昨年はあまり読書の冊数が多くはなく、もう少し本を読めばよかったかなと思っていましたので、今年はせめてその倍くらいの読書はしていきたいと思っています。

 

 自己の目標は色々ありますが、基本的には前年度よりもパワーアップ、そして心身ともに若々しくいられる努力をして行きたいと思っています。

 

 皆さま今後ともどうぞよろしくお願いします。

読書感想:『ツリーハウス』

 お疲れ様です、スナフキンです。

 今年最後の読書感想になりそうですが、今回は角田光代氏の

ツリーハウス

と言う小説を読ませていただきました。

 

 

 夏の文庫フェアの時に、書店で面白そうだと手に取って途中まで読んで積読していた本だったのですが、年末少し落ち着いて読んでみようと思い、この度読了しました。

 

 角田光代氏の小説では、過去に八日目の蝉を読んだことがありまして、登場人物の心理描写が絶妙で、感情移入しやすく面白いという記憶を持っていましたが、今回の作品もそうした心理描写を味わうことが出来る作品となっています。

 また、それに加え本作では、第二次大戦以降、実際に起こった出来事をベースに、現代人が過去とどのように繋がっていっているのか、ということを巧みに描き上げています。

 

―――――――

(あらすじ)

 主人公である中学生の藤代良嗣は、自分の家の人々それぞれが、何か他家の人々とは違うようなつながりがとあると感じるようになる。それぞれが無関心で、それ自体に自由を感じているものの、繋がりというものが本当にあるのか気になりだす。

 

 物語は、そんな良嗣の祖父の死から始まる。祖父母が出会った満州に行けば、何かルーツを知ることが出来るかも知れない。良嗣は、祖母ヤエ、引きこもりの叔父太二郎と一緒に満州への旅に出る。

―――――――

 

『現代が過去から途切れなく続いている長い時間の積み重ね』

であることを、この小説は再確認させてくれる。ここが素晴らしいポイント。

 

 過去の戦争というものを、実際に現代人は体験していない。しかし、今現在ある、ということは、全ての過去の繋がりなのだ。

 

 物語は現在の記述から、突然昭和15年にジャンプする。そして次第に現在に近づき、主人公の良嗣と、祖母のヤエの話が合流する。

 最後に良嗣は、家族を繋げているものは何なのか結論付けますが、それはつまり祖母ヤエの過去のエピソードが、現代へと途切れなく続いているという証拠でもある。

 

-あのとき、祖母が何に怒ったのか、今なら分かる。闘うことも逃げることもせず、やすやすと時代に飲み込まれんなと祖母は言ったのではなかったか。祖母たちの生きた時代のように戦争が今あるわけではない、赤紙がくるわけではない、父たちが生きた時代のようにのぼり調子なわけではない、浮ついた希望が満ち満ちているわけではない、今は平和で平坦で、それこそ先が見通せると錯覚しそうなほど平和で不気味に退屈で、でもそんな時代に飲み込まれるなと。(P.466)

 

 現代では戦争を身近に感じることはない。それでも、戦争のあった時代に飲み込まれてはいけなかったのと同様に、不気味なくらい退屈で平坦な平和の時代にも、決して飲み込まれてはいけない

 この教訓は、我々にとっての渾身のメッセージな気がしてなりません。

 三者の架空の物語であるにも拘らず、読者に強烈なインパクトを与える小説を作る角田光代氏の力量が、本当に凄いのだなと感じました。

 年内に読了出来て良かったです。来年、角田氏の他の作品も手に取ってみたいと思います。

 

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