―私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、-5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。
Twitterのとあるツイートで引用されていた、本書の内容。強烈な衝撃を受けたのを覚えています。
今回紹介するのは、第169回芥川賞受賞作、市川沙央氏著
『ハンチバック』
という小説。
筆者は筋疾患先天性ミオパチーという難病を罹患し、背骨が弯曲する症候性側弯症に伴い、人工呼吸器と電動車椅子を常用されている障害者である。
本書の主人公の井沢釈華も、同じ障害を抱えた人物として登場し、そうした主人公の視点をもとに、健常者の特権性や、障害者自身の本来の、生々しい人間性を描き出している。
―〈私の曲がった身体の中で胎児は上手く育たないだろう〉
(中略)
〈でもたぶん妊娠と中絶までなら普通にできる。生殖機能に問題はないから〉
(中略)
〈普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です〉
生きることが非常に困難な人生の中で、自分はどう爪痕を残していきたいか。
何不自由なく五体満足で生活している人間には、到底気づくことも出来ない、健常者自身の傲慢さを、生々しい内容が展開することで、浮き彫りにしてくれる。
また、筆者が答えた、インタビューも非常に印象深かった。
―十代半ばから月刊「正論」読者でもあった私のような筋金入りの人間に対して、読書バリアフリーを訴えるマイノリティな身体障害者という面だけを見て、こいつは反日だの、左の活動家だのと、ずいぶん皮相浅薄なことを言ってくるものだと悲しくなった。
それ以上に、昨今SNSが媒介する社会分断の深刻さはまことに嘆かわしいものがある。
こういう時代にこそ人の心に想像力を養う小説という文化の力を逞(たくま)しくしていかなければならないと、芥川賞作家としては多少しらじらしくても言うべきだろうか。
(中略)
差し迫る国難を見据えなければならない時代に、右か左か敵か味方かをインスタントに判断して両極端に分裂したがる安易な分断現象をこのまま放置していてよいとは私には到底思えない。れっきとした国家の脆弱(ぜいじゃく)性だろう。
人口減少の社会では、ただ一人の生きる力の取りこぼしもあってはならない。保守派の包摂的な寛大さと対話能力が今こそ我が国のために発揮されることを心から願うし、私も相互理解を試み続けていきたい。
10代の頃から『正論』の読者だという、筋金入りの保守本流の人が、社会分断の深刻さに警鐘を鳴らし、想像力を養う文学の重要性を訴えるのは、非常に説得力がある。
自分の知性も、引きずられて劣化しないように、自身も積極的に文学の力を磨いていきたい。