10数年前に初めて大学受験をした時の好きな教科が世界史であった。
受験勉強の記憶で鮮明に覚えているのが世界史の学習であり、その甲斐あってか、今でも世界史の学習を続けている。いずれ告知しようと思っていたが、今年中の世界史能力検定も可能なら一度受けてみようかなと思っている。
かなり長期的なスパンにはなるかも知れないが、単純に知識の詰め込みや、模範解答の模倣でなく、自分の中でまとめ上げた世界史のデータベースは作っていきたいなとは思っている。
そんな中、塩野七生氏の新しい文庫本で、書店で目を惹くタイトルの本があったので購入した世界史関連の本があった。
題名は『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』
世界史の学習上、フリードリッヒ二世と言えば、『啓蒙専制君主』であり、啓蒙思想家ヴォルテールと親交のあったというイメージが個人的には強かったが、ただその偉人の歴史的意義の大きさに関して改めて学ぶと、新発見があるかも知れない。
冒頭でも塩野氏が、フリードリッヒ二世のことを、
中世のなかで育ちながら、全く中世的と言うところからは最も遠いところに生きた人物
と評している。
ローマ法王とはたてつくどころが激突を繰り返し、血を流さないでイェルサレムを祭服したのにも関わらず、三度も破門されたこのフリードリッヒ二世。そうした人物を描くことで、かえって『中世』という時代が分かってくると、塩野氏は述べている。
『中世西ヨーロッパ世界』について、少し簡単に説明。
王権が弱く、地方分権的であったり、自給自足経済で商業や都市が当初は発展しなかった、カトリック世界であったが、一番の特徴と言えば、皇帝と教皇の2つの権威が存在していたということであろう。
『皇帝は地上におけるイエスの代理』であり、祈る身分の聖職者を任命するのはローマ教皇の権威によるという聖職叙任権闘争が、11世紀後半から12世紀前半に向けて行われた。
そうした教皇と真っ向から対立していたフリードリッヒ2世が目指していた世界は何なのか。歴史を紐解くと非常に面白いのではないだろうか。
少しずつでも歴史関連の書籍を読み続け、自分なりのデータベースを増やしていきたいと思っている。