現在NHK大河ドラマで、『鎌倉殿の13人』が放映されていますが、今回はそのドラマの知識を深め、より面白く鑑賞するのにも役立つ本を紹介したいと思います。
今回紹介するのは、
『眠れないほど面白い吾妻鏡』
という板野博行氏の本。
以前にも板野氏の著作として、『眠れないほど面白い百人一首』をご紹介しましたが、この『眠れないほどおもしろい』シリーズは非常に分かり易く面白いです。
登場人物の説明だけでなく、時代背景などについても丁寧に解説されているので、読者は日本史の学習もすることが出来ます。
そもそも、吾妻鏡は、鎌倉幕府末期に、幕府の複数の有力者が編纂したとされる、日本における武家政権の最初の記録。
鎌倉幕府を建てたのは、『冷酷非情の政治家』として、日本で初めて武家政権を打ち立てた源頼朝。輝かしい源氏将軍として活躍したが、わずか3代で断絶。
その後は北条氏による執権政治が行われたが、実権を得るに至るまでは、闇にうごめく謀略が数々あり、御家人同士での激しい権力闘争がありました。
そうした事実を淡々と記しているのが、鎌倉時代の公式記録である『吾妻鏡』なのです。
そんな吾妻鏡ですが、今回は様々な登場人物の中でも、個人的に印象深かった人物についてご説明したいと思います。
〈後鳥羽院〉
源平の合戦の最中、異例中の異例で即位した天皇が実はいます。それが今回紹介する、後鳥羽院です。
その当時、源氏の前に敗れ去った平家は、当時在位していた安徳天皇と三種の神器を奉じて都落ちしていました。
源氏を利用していた後白河院は、天皇と神器を取り戻すための工作を試みたものの、上手くいきませんでした。
そこで、安徳天皇に代わる新しい天皇として、後鳥羽院を即位させることにし、前代未聞の「三種の神器無し」で即位を行ったのです。
その結果、二人の天皇の在位期間が二年間重複するという異常事態を後鳥羽院は経験することになります。
こうして、天皇の権威の象徴を失ったままであった出来事において、後鳥羽院はずっとコンプレックスを引きずり続けていたのではないか、と筆者は分析しています。
自分もまさにこのことに関しては非常に共感するところでした。
ただ、神器無しの即位に対してコンプレックスを抱き続けた後鳥羽院は、それを克服するために刻苦勉励、自らを高める努力を怠りませんでした。
後白河院が亡くなってからは、3代23年間にわたって強力な院政を敷いたほか、皇室所有の荘園を集めて経済力を強化し、文化面では管弦や蹴鞠など、貴族に必須の諸芸の習得に力を注ぎます。
また、『新古今和歌集』の編纂を藤原定家らに命じたのは大きな功績です。
『奥山の おどろが下も ふみ分けて 道ある世ぞと 人に知らせむ』
(訳:人も通わない奥山の藪の中に分けて入って、どんなところにも道がある世だと、人に知らせよう。)
ストレートな表現の中に、後鳥羽院の強い遺志と、力強さを感じる非常に素敵な歌だと思います。
後鳥羽院はその後、承久の乱を起こして北条義時追討を図るが、結果は幕府側の勝利。乱後、上皇だった後鳥羽院は出家して法王となり、隠岐に配流。最終的に帰京はかなわず、その土地で崩御したが、個人的には思い入れを感じる方です。