前回のブログでは、ナポレオン戦争において、なぜ軍事的に不利だった英国がフランスに勝利できたのか、という考察について学びました。
今回は、もう一つ目からウロコだった歴史的出来事、ナチスドイツ下でドイツ経済が「たった3年」で回復した理由について学んだことを書いていきたいと思います。
第一次世界大戦で敗戦したドイツは、皇帝ヴィルヘルム2世までがオランダに亡命し、またパリ講和会議で戦争責任について追及され、フランスなどの戦勝国に対し、1320億マルクという莫大な賠償金を課した。
1320億マルクという金額は、当時のドイツのGNP(国民総生産)の3倍を上回る。
毎年支払うべき賠償金は、国民所得の10%、総輸出高の80%にも及んだため、新生ドイツ政府は財政赤字から抜け出すすべがなかった。
こうした状況で、ドイツ政府の唯一の選択肢は、
『通貨を増発すること』
しかなかった。
通貨を増発することで、1920年以降、ドイツでは月に50%もの物価が上昇する事態となり、紙幣の信頼は完全に失われた。
こうした状況で深刻なのは、単に経済が回らないということだけではなく、お金の価値で保証されていた財産や固定収入が無価値と見なされるようになってしまったことにある。
そうした中、政府と企業だけが現物資産を持つ媒体として生き残り、国民感情のなかには、これらに対する怨恨感情が沸き上がっていった。
そしてその結果、ナチスを筆頭とする、全体主義勢力が力を持つ原因になってしまった。
それでは、こうした状況下で、なぜドイツ経済は急速な回復を遂げたのであろうか。
筆者が導いた答えは、
『金本位制の放棄』
である。
ドイツは1931年8月、他国より早く金本位制から離脱したが、そのおかげで1933年には公定歩合が7%から4%に引き下げられ、ドイツ国内の信用条件は迅速に改善された。
また、1929年6月のヤング案で、各国がドイツの支払い能力に応じて賠償金の軽減に合意したことも景気回復の助けになった。
つまり、ドイツ回復のきっかけは、ヒトラーが政権を握った前に行われたことであり、その効果が表れたときに、『偶然にも』ヒトラーが政権下にいた、と言うことを表している。
ヒトラーの成功は、『運』であったのだ。
しかしながら、こうした経済回復を、自身をアピールする宣伝材料に利用できるくらい、ヒトラーが能力に長けていたことは、歴史の悲劇なのだなと感じました。
1936年から勢力を急速に上げたナチスドイツが、わずか3年後の1939年に、第二次世界大戦を引き起こすほどの経済力を備えたのは、明らかに1932年に始まった経済浮揚政策のおかげであった。
つまり、経済が深刻な危機に陥った場合でも、積極的な利下げや財政拡大政策を取れば、力強い経済成長を達成できるという、経済の教訓を学ぶことが出来る。
歴史学習においても、こうした面からアプローチする重要性を感じました。