本日も以前に引き続き、中野京子氏の著作、『名画の謎』シリーズから第4弾の作品を紹介したいと思います。
今回紹介するのは、
『名画の謎 対決篇』
という名前の本。
『対決』という名前はついているものの、基本的には中野氏の感性によってチョイスされた二作品を並べ、比べることで見えてくる意外な発見を楽しむというもの。
同じ主題でも、画家が違えばここまで意味合いの異なる別物になるという、斬新な切り口が非常に面白い。
自分自身まだまだ体系だって美術史を理解しているわけではないですが、だからこそ良く知られる有名な絵画の裏に隠されたエピソードに関して新発見をすることができ、非常に読んでいて楽しい。
今回も印象に残った作品を一つご紹介したいと思います。
【パリのダンス場 昼の顔VS夜の顔】
☆ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』VSピカソ『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』
ムーランは『風車』、ギャレットは『焼き菓子』の意味。
『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』は、そんな意味がアイデアマンによってつけられた、パリ北部のモンマルトルにあるダンスホールの一つ。
パリ北部の丘モンマルトル。
当時ナポレオン三世がパリ市域を倍にすべく大改造し、空前の建設ラッシュに沸いたことから、石工や建設労働者が地方や国外からどっと押し寄せていた。
そして安価な娯楽施設が出来、カフェ、ミュージックホール、キャバレー、ダンスホールなどが乱立し、モンマルトルは有数の歓楽地になった。
この人気スポットの社交場自体を、数多くの画家がモデルとして描いたが、後世にこの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』の名を残したのは、ルノワール初期のこの名作だという。
人工灯を『死んだ光』、『光の缶詰』と嫌い、陽光の千変万化する美しさを讃えたルノワールは、白昼の戸外のダンスシーンを描いた。
当時のフランスはナポレオン3世が失脚し、やっと共和政時代が来た時代。階級制度はまだあるにせよ、貧困層でも余暇を楽しめる時代になった。
ルノワールの作品には、これから明るい未来や人生が始まる、そうした未来を楽しんでいこうという臨場感を感じる。
それから少し時代が流れ、ルノワールが当該作を描いて24年後の1900年、スペインから若い画家がパリへやってくる。
彼の名はピカソ。
同じダンスホールだが、ルノワールの作品が昼だとすれば、ピカソは夜の顔。
昼のざわめきに比べ、夜の店内から漂ってくるのは、密やかな囁きとむせかえる香水の香りだと、中野氏は表現している。
ルノワールとピカソのタイプに関して、中野氏は著作でこのように述べている。
-これは戸外の陽光と店内の人工灯の差だけではなく、人生の陽の部分だけを見たがるルノワールと、恐るべき目通力で人の裏の裏まで見透かし、「人間の本性は苦悩だ」と言い切ったピカソとの、且つまた、女の桃色の肌は愛しても妻を大切にしたルノワールと、様々なタイプ様々な階級の女性たちを虜にしては残酷に捨てていったピカソとの、あまりにかけ離れた感性の差にもよるだろう。(P.28)
本によれば、ピカソが描いた当時の『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』は、貧しい労働者階級が安い入場料で踊る場所から、プロのエロティックなダンサーが踊り、金持ち客がそれ目当てにやってくる場所に変わったという背景もあるみたいである。
しかし、こうした同じ場所が、有名な画家でここまで比較出来るということに、絵画のまた奥深さを感じた瞬間でした。
やはり印象派は日本人にとって好まれる時代なので、これからも色々調べてみたいと思います。