とりま文系歯科医師が自己投資。

読書好きな開成、一橋大卒文系出身歯科医師のマイペースブログ。読書を中心に学んだ知識をアウトプットすることで、何か社会が少しでも変わればなと思い開設。好きなテーマは小説全般、世界史、経済学、心理学、経済投資など。筋トレも趣味です。

2022年上半期、感動した本と映画紹介

 お疲れ様です、スナフキンです。

 今日で早くも今年の半分が経過。

 社会人になって費やす時間は減ってしまいましたが、人生の深みを得るため、積極的に読書や映画鑑賞の時間を作っています。

 ということで、今回は、中でも印象深く、学ぶことの多かった本や映画を少しご紹介。

 

 

【本バージョン】

1.暇と退屈の倫理学

2.消費社会の神話と構造

3.余命10年

 

 特に1番目の本は、退屈とは何か、現代消費社会の暇と退屈が抱える本質を鋭く突いた哲学書で、非常に考えさせられる名著でした。

 

 資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人間は豊かになった。だが、暇を得た人々は、その暇をどう使って良いのか分からない。

 資本主義の中で生み出された、暇や退屈とどう向き合い、生きるべきかという問いに対して、本書は様々な考察がなされており、現代社会の方向性のあり方を問うものであったと思います。

 

 そして2番目の本は、その1番目の本で引用されていた、フランスの哲学者ボードリヤールの有名な名著。

 現代の高度な消費社会では、モノの価値は記号化され、構造的な差異の体系に組み込まれていることを論じ、個性』というものさえ、資本主義社会では際限なく生み出されるものだという痛烈な事実を提起している。

 個性が求められる現代社会において、自らを際立たせる『個性』すら、資本主義社会によって成立しているのかと考えたときには衝撃的でした。

 

 

 

 

【映画バージョン】

1.オフィサー・アンド・スパイ

2.そして、バトンは渡された

3.アナザーラウンド

longride.jp

wwws.warnerbros.co.jp

anotherround-movie.com

 

 1番目と、2番目が、特に本年で印象に残る作品かと。

 1番目の映画は、自分の人格形成に多大な影響を及ぼした戦場のピアニスト』で有名な、ロマン・ポランスキー氏が監督を務めた映画。

 内容は19世紀末フランス、実際に起きた、ユダヤ人将校のスパイ冤罪事件、『ドレフュス事件』を基にした実話作品。

 

 この事件はシオニズム運動の契機となった、世界史上では非常に有名な事件ですが、正義や真実を求めた先にある、立場の違いに基づく皮肉な運命の差異というものが、非常に鮮明に描き出されており、さすがロマン・ポランスキー監督だな、と思ってしまった。

 

 2番目は割と日本映画として有名だけど、本屋大賞を受賞した瀬尾まいこの同名ベストセラー小説を、永野芽郁田中圭石原さとみさんなどの共演で映画化されたもの。

 複雑な環境の2つの家族。

 ストーリーが展開する中で、次第にそれらが交錯していき、感動の結末を迎える。

 本当に泣いてしまいました。めちゃくちゃ感動作。

 

 明日から2022年も後半へ。人生を楽しみながら、今後も多くの本や映画と触れ合いたいと思います。

映画感想:『オフィサー・アンド・スパイ』

 お疲れ様です、スナフキンです。

 映画の感想をこちらのブログで書くのは初めてなのですが、とても印象的に残った映画であり、また歴史学習の重要な文献にもなりうると思ったので、今回ブログを書いてみることにしました。

 

 本日ご紹介するのは、ロマン・ポランスキー監督が映画化した、

『オフィサー・アンド・スパイ』

という映画。

longride.jp

 

 ロマン・ポランスキー監督には、有名な作品の一つとして、戦場のピアニストがありますが、これは自分が中学生の時に鑑賞し、その後の人格形成に大きく関与した作品であります。

 そのため、個人的に、この監督には深い思い入れがあり、今回改めて、彼の映画を鑑賞したいと思っていました。

 

――――――

【あらすじ】

 舞台は19世紀末のフランス。

 1894年12月22日、ドイツに軍事機密を流したというスパイ容疑をかけられた、フランス陸軍大尉ルフレッド・ドレフュスが、パリ軍法会議で有罪を宣告される。

 ドレフュスは一貫して無罪を主張するが、翌年1月5日、大勢の軍関係者が見守る中で、勲章をはぎ取られ、軍籍を剥奪されてしまう。

 

 一方、以前にドレフュスの教官だったジョルジュ・ピカール中佐は、情報局の防諜部長に任命される。組織内の風紀を糺そうとするピカールだが、一通の電報を入手したことをキッカケに、ドレフュス事件は冤罪ではないかと疑い始める。

 

 その後、ドレフュスの無罪を確信したピカールは、軍部にドレフュス事件の再審を求めるが、上層部はそれを拒否。

 真犯人が判明しても、軍の威信と、フランス国内にまん延する反ユダヤ主義の風潮と相まって、スパイ事件のスケープゴートとしてこの事件を終結させようとする。

 

 そして、ピカールは最終的に、口封じのための実質的な左遷を食らってしまう。

 しかしながら、ピカールは己の信念に従ってドレフュス事件の再審を求め、あらゆる手段を講じて動き出す…。

――――――

 高校世界史でも、ドレフュス事件は学ぶ大きな歴史的出来事の一つなのですが、この事件は個人的に、妙に記憶に残っていました。

 最終的にドレフュスは、1906年に無罪となるのですが、この間に反ドレフュス(ユダヤ人)派は、『ユダヤ人たちが、ドレフュスの放免を得るために、莫大な資金源を使って国際的なユダヤ組合を作っている』とのネガティブ・キャンペーンを繰り広げました。

 

 結果として、この事件はシオニズムの発端となったのですが、シオニズムが今も尾を引く国際的な諸問題の遠因となっていることを考えると、非常にこの事件は大きな歴史の転換点であったのではないかと思わされます。

 

 

 勿論、歴史的な史実を学ぶための文献以外としても、非常にこの映画は価値があると思われます。

 ネタバレになってしまうので、結末は詳しく話せませんが、最後のシーンで、ドレフュスとピカールが対峙する場面があります。

 両者とも、正義や真実を常に追求し続けた人間でありましたが、時代の流れとともに、立場も変化した両者の間には、微妙な差異が生まれます。

 それが非常に奥深く、考えさせられるシーンでした。

 

 正義を追求したピカールは最後にどのようにドレフュスを想ったのか。

 それを想像すると、現実社会においても、正義や真実を求めた先の、当事者としての在り方に対する自分達の覚悟、というものが求められるような気がしました。

 

 映画を通じ、歴史を学ぶ。

 今後も印象に残った映画があれば適宜ブログに書いていこうと思います。

 

読書感想:『暇と退屈の倫理学』

 お疲れ様です、スナフキンです。

 今回は、なかなか読み応えのある、勉強になった哲学書についてご紹介したいと思います。本日ご紹介する作品は、國分功一郎氏著、

『暇と退屈の倫理学

という哲学の本。

 

 

 哲学とは、問題を発見し、それに対応するための概念を作り出す営み。

 この本は、人間にとって、退屈とは何か、現代消費社会の暇と退屈が抱える本質を鋭く突いた哲学書になります。

 

 人類は様々な対立や悲劇を乗り越え、豊かさを目指して発展を遂げてきました。

 だが、豊かさが達成されると、逆説的に人が不幸になってしまうという証明がされている。

 イギリスの哲学者バートランド・ラッセルが1930年に、『幸福論』で以下のように述べている。

『いまの西欧諸国の若者たちは自分の才能を発揮する機会が得られないために不幸に陥りがちである。』

 つまり、人々の努力により、社会が豊かになると、人はやることがなくなって不幸になるのではないか、ということを示唆しています。

 

 また、経済学者ジョン・ガルブレイスが1958年に、『ゆたかな社会』で述べたことを引用すると、

『現代人は自分が何をしたいのかを自分で意識することが出来なくなってしまっている。広告やセールスマンの言葉によって組み立てられて初めて自分の欲望がはっきりするのだ。』

とも述べられている。

 

 資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人間は豊かになった。

 だが、暇を得た人々は、その暇をどう使って良いのか分からない。何が楽しいのか分からない。自分の好きなことが何なのか分からない。

 そこに資本主義がつけ込む。文化産業が、既成の楽しみ、産業に都合のよい楽しみを人々に提供する。今は、労働者の暇が搾取されている。

 本書は、資本主義の中で生み出された、暇や退屈とどう向き合い、生きるべきかという問いに対して様々な考察がなされています。

 

 筆者も最後の結論でも述べているのですが、こうした〈暇と退屈の倫理学〉の考察の試みには、それぞれの人間が論述を通読し、考察することによって見方が獲得できるものだと述べています。

 そのため、ここで端的に方向性を指し示すのは、あくまで僕が見た方向性になってしまうので、もし気になる方は本書を通読されることをおススメします。

 

 最終的にはハイデッガー形而上学の根本諸概念』に基づく退屈論を用いながら、退屈の方程式を導き出すのですが、非常に読み応えのある内容であるかと思われます。

 

 また、少し副次的な知識になるのですが、個人的にとても印象深かった引用がありました。

 引用先はポストモダンの代表的な哲学者、思想家のボードリヤールが述べたことでした。

 ボードリヤールは、消費される観念の例として、『個性』に注目しました。

 そして広告は消費者の『個性』を煽り、消費者が消費によって『個性的』になることを求める。それにより消費者は、自分がより『個性的』でなければならないという強迫観念に捉われます。

 問題なのは、そこで追及される『個性』がいったい何なのかが誰にも分からない、ということ。

 つまり、消費によって『個性』を追い求めるとき、人が満足に到達することは無いという衝撃的な事実が浮き彫りになります。

 この考察は、明確に資本主義の本性を的確についているのではないのか、と強く感じました。

 ボードリヤールの代表作、『消費社会の神話と構造』も、今度買って読んでみたいと思います。

 

読書感想:『心が強い人はみな、「支える言葉」をもっている』

―簡単には折れない心を保つには、支えるものが必要です。私はそれを言葉だと考えています。心を支える言葉を持っていると、いざというときに自分を助けてくれます。

 

 筆者の齋藤孝氏は、冒頭でこのように述べているが、まさにその通りだと思う。

 今回紹介する本は、

『心が強い人はみな、「支える言葉」をもっている』

という、心を支え、強くするのに役立つ先人の言葉を集めた齋藤孝氏の本。

 

 

 読書体験によって得た知識や教養は、実際に役立てる機会は決して多いわけではないかもしれないが、ふとした瞬間に、ふっと湧き出て自分を助けてくれる。だからこそ、読書って本当にいいものだと思うわけですよね。

 

 印象に残る名言はいくつもありますが、その中でもとりわけ印象に残ったものを一つご紹介したいと思います。

 

 

〈「サヨナラ」ダケガ人生ダ(井伏鱒二)〉

 

 人生に別れはつきもの。生きていればさまざまな別れを経験する。

 もちろん、別れは、つらく、さみしい。

 ただ、つらい別れを何となくやり過ごすイベントにするのではなく、それを敢えて祝祭にする力にしたのが、この井伏鱒二の有名な言葉。

 

 これは初めて知ったのですが、元々は唐代の詩人、于武陵による「勧酒」という五言絶句があり、それを井伏鱒二が訳したものになっています。

 

勸君金屈卮

滿酌不須辭

花發多風雨

人生足別離

 

コノサカヅキヲ受ケテクレ

ドウゾナミナミツガシテオクレ

ハナニアラシノタトヘモアルゾ

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 

(現代語訳:君に、この金色の大きな杯を勧める。

なみなみと注いだこの酒、遠慮はしないでくれ。

花が咲くと、雨が降ったり風が吹いたりするものだ。

人生に、別離はつきものだよ)

 

 そして、エピソードはこれで終わりではありません。この言葉を愛し、心の支えにしていた著名人がいるのです。

その名は寺山修司多彩な顔を持ち、若者たちの心をとらえ続けた寺山修司にとっての、最初の名言が、「『さよなら』だけが人生だ」でした。

 『ポケットに名言を』の中で、寺山は、「さよならだけが人生だ」という言葉が、自分にとっての処世訓であると述べている。

 

 さらにはこの言葉を受け、「幸福が遠すぎたら」という詩を書いています。

 この詩の最後は、

「さよならだけが/人生ならば/人生なんか いりません」

で締めくくられています。

齋藤先生は、

『一見、「『さよなら』だけが人生だ」を否定しているようだが、この言葉を噛みしめ、支えにしてきたからこそ、今度はそれを乗り越えようとする、そんな挑戦状のようにも思えます。

と述べています。

 

 偉大な言葉の達人たちのこのハイレベルなぶつかり合いに、正直自分もシビレルものを感じます。

 別れの状況を受け入れることで、そのつらさまでも自分の血肉にしてしまうエネルギッュな姿勢、非常に元気になる気がします。

 こうした心を支えてくれる言葉を、一つ一つ大切にして行きたいなと思います。

読書感想:『カエルの小指』

 お疲れ様です、スナフキンです。

 自分の中で、かなり充実感のある、素敵なミステリー小説に出逢えました。

 

 つい最近、阿部寛主演のカラスの親指という映画を観たのですが、この映画が非常に感動する名作でありました。

 内容としては、主人公のベテラン詐欺師のタケが、あることをキッカケにテツという男と出会う。

 二人はコンビを組み、様々な詐欺を重ねていくのだが、ある日二人のもとに、まひろという少女が現れ、その姉のやひろ、恋人の貫太郎の三人がタケとテツの住んでいる家に転がり込み、それから五人の奇妙な共同生活が始まる。

 そして、とある出来事をキッカケに、人生逆転の大規模な詐欺を企てる、というお話なのですが、この最期の結末が非常に感動的で、最近観た映画の中でもかなりの名作でした。

 

 そして、今回紹介する本は、その『カラスの親指』の続編の、

カエルの小指

というミステリー小説。

 

 

 筆者の道尾秀介の作品を読んだのはこれが初めてなのですが、道尾氏の作品は、ミステリー小説であるにも関わらず、心が温まる形での『どんでん返し』が起こる、魅力的なものが多い。

 

 巻末の解説でも、教育系YouTuberのヨビノリたくみ氏が、筆者の道尾氏にインタビューしているのですが、道尾作品で、続編がある小説は非常に珍しいらしいです。

 

-道尾さん曰く、作品を書く際は常に「これ以外のエンディングはありえない」という気持ちで物語を終わらせるらしく、基本的に続編という形はやりたくないとのことでした。

 すると自然に湧く疑問は「なぜ『カエルの小指』という作品が例外的に生まれたのか」ということになると思うのですが、それは「登場人物たちにまた会いたくなったから」だと言うのです。

 こんな素敵な理由があって良いのでしょうか?

 ファンだけでなく、著者自身もこの作品の登場人物たちが大好きなようです。

 

 世の中が最近暗いニュースが多い中で、結末がほっこりする小説は非常に有意義なものですよね。今後も道尾秀介作品、チェックしていきたいと思います。

読書感想:『女と男の絶妙な話』

 本日紹介する本も、大好きな伊集院静さんの本。

 週刊文春で好評連載されている読者のお悩みに、伊集院さんがズバッと答える、『悩むが花』の回答集。

 老若男女問わず多くの読者が、様々な質問を投げかけるが、伊集院さんはシンプルで軽快ながらも、ズバッと核心をついた回答をしてくれるところが非常に清々しい。

 

 

 自分の中で印象に残った質問と回答を、いくつか紹介したいと思います。

 

Q:世間は「ミニマリスト」と言うのが流行っているが、ミニマリストについてどう思うか。(45歳・男・配送業)

 

A:そのミニなんとかで、身の回りのモノをどんどん捨てれば、物欲が涸れ、迷いが消える?その程度のことで消える迷いは、迷いとは言わんでしょう。

 いつもわしが言っとるでしょう。

すぐにカタがつくようなもんはすぐにまたおかしくなると。

すぐに役に立つもんはすぐに役に立たなくなると。

“すぐ役に立つ本はすぐに役に立たなくなる”とは、小泉信三が『読書論』で述べていたものだ。

(中略)

 すぐに役に立つ人間はすぐに役に立たなくなります。

 

 

 

Q:生きざまってなに?(40歳・男・会社員)

 

A:“生きざま”とか“本音”とか、そんなのは余計なもんでしかないだろうよ。

 小説も、ギャンブルも、酒も、女のひとも、わしには突進していくもんで、斜に構えてみる余裕なんてあるわけないだろう。

 手前の人生に何があったなんてのは、死ぬ間際にちらっと振り返って見て、何もなかったナと思って死ぬの。

 

 

 

Q:おじさんにモテる秘訣を教えてほしい。(29歳・女・会社員)

 

A:男は年齢に関係なく、本来、ウジウジしている生きものです。

 それを見栄で隠しているだけです。

 あなたは教養ある年上のオジサンと付き合いたいとおっしゃいますが、若い女性に向かって教養をちらつかせるオッサンは、十中八九、下心と、詐欺師の発想がある。

 さらに言えば、教養なんてもんは、屁みたいなもんです。煮ても、焼いても食えたもんじゃありません。

          

読書感想:『石川啄木 コレクション日本歌人選035』

 お疲れ様です、スナフキンです。

 百人一首をキッカケに、日本の和歌に関して少し興味を持ち始めたのですが、今回は日本歌人の選集の中から、日本近代文学に多大な影響を与えた、石川啄木の歌に関しての本を読んでみました。

 

 石川啄木、自体は子供のころから名は知っていますし、何首か目にしたこと自体はあったのですが、こうしてじっくりと歌集を読んだのは初めてでした。

 

 啄木自身は短歌について、「一利己主義者と友人との対話」と言う歌論なかで、一生に二度とは帰ってこないいのちの一秒」を逃さないための、「形が小さくて、手間暇のいらない」便利なもの、と定義したそうです。

 このように形容されると、確かに短歌とはそのかけがえのない一瞬を残すことのできる、独特で素敵なものだと感じられますよね。

 

 有名な短歌に関しても、じっくり読み込んでいくと、新しい発見が見られるものだなと思いました。

 

〈ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにいく〉

(現代語訳:ふるさとの、訛りがとてもなつかしい駅の、人ごみの中にそれをききに出かけるのである)

 

 啄木の中でも非常に有名な短歌であり、今でも上野駅には、東北本線が発着する十五番線にこの歌を刻んだ碑があるらしいです。今度確認したいと思います笑

 

 ただ、今回の歌集の筆者であり、東京都立産業技術高等専門学校准教授の河野有時氏は、上野駅がこの歌の光景として本当に適切だろうか、と本の中で問うています。

 

 確かに、東北出身の啄木の個人歴を背景とするなら、この停車場は東北本線の起点、上野駅ということになるでしょう。

 しかしながら、故郷の訛りがなつかしくなって、上野駅の雑踏の中に、それを聴きに行くとしたら、この歌い人は、『駅の雑踏を恋しく思うくらい、地方出身者として、都会のどこかで寂寥感を感じている』のではないでしょうか。確かに、思えばそちらの方が、合点がいく。

 

 自分がこの歌を知ったのは小学生でしたが、当時は、さすがに上野駅とは認識はしていませんでしたが、駅の人ごみの中で、それを聴きにいこうとふらふらしている男の姿を想像していました。

 

 こうやって時間を超えて、昔触れた作品を精読すると、新しい発見が出来るのも、文学の魅力だと思いました。

 

 もう一つ、自分が良いなと思った歌を紹介。

〈非凡なる 人のごとくに ふるまへる 後のさびしさは 何にかたぐへむ〉

(現代語訳:非凡な人がするように振る舞った、後のさびしさは、いったい何にたとえられようか)

Copyright ©とりま文系歯科医師が自己投資。 All rights reserved.

プライバシーポリシー