近現代の文学は、作者がいて作品がある、というのが一般的である。
しかし、今回紹介する作品は、それとは異なる意味がある。
石牟礼道子氏が著した作品、
『苦海浄土』
は、水俣病の患者たちが本当の語り手だと、石牟礼氏は述べる。
水俣病の患者たちは、言葉を奪われて書くことができない。自分はその秘められた言葉の通路になっただけだと、石牟礼氏は述べられていた。
その『苦海浄土』を深く理解するための一助になりえるのが、NHKブックス100分de名著の
である。
筆者の若松英輔氏は、本の中で、以下のように述べている。
―時間は過去から未来へと進んでいくが、過ぎ行く時間とは別の永遠につながる「時」が流れている。生命は滅びるが、万物の「いのち」は決して朽ちることはない。
『苦海浄土』という同時代の作品を読むとき、現代の知性で読むのではなく、心や感情で読む。文字を理解しようとするのではなく、何が自分に響いているのかを感じることが大事だとも説いています。
―読み終えることのできる本は、たくさんあります。しかし、人生で何冊かは、読み終えることのできない本に出会ってもよいように思います。むしろ、そうした問いを投げかけてくれる書物こそ、真に文学と呼ぶにふさわしいものなのではないでしょうか。
水俣病事件は、確かに過去になった歴史になりつつある。しかしながら、水俣病事件は、決して朽ちることのない意味合いを含んでいるのではないでしょうか。
過ぎ去るものがある一方、決して過ぎ去らないものがあるということを、この『苦海浄土』は教えてくれます。
一度読んだから終わりではなく、常にそこに刻まれたものに対して考察し続ける文学作品が、この『苦海浄土』なのではないかなと思いました。