とりま文系歯科医師が自己投資。

読書好きな開成、一橋大卒文系出身歯科医師のマイペースブログ。読書を中心に学んだ知識をアウトプットすることで、何か社会が少しでも変わればなと思い開設。好きなテーマは小説全般、世界史、経済学、心理学、経済投資など。筋トレも趣味です。

読書感想:『続 まんが パレスチナ問題』

 現在深刻な状態になっている、パレスチナ問題

 戦闘員でない無防備の一般市民が殺され、何としても早急に即時停戦が望まれています。

 

 今回紹介する

『続 まんが パレスチナ問題』

は、今から10年弱近く前の新書ではあるのですが、現在のパレスチナ問題を理解するうえで、非常にわかりやすい本となっています。

 

 

 前作の『まんが パレスチナ問題』は2005年に発刊され、自分が中高生の時に読んで学習させてもらいました。

 

 本書はそれと繋がる形で、今なお混迷を極めるパレスチナ問題に関して理解の一助になるものだと思われます。

 

ハマスは「イスラム国」ほどのムチャクチャはしないけど、国際的にテロリストグループって通っているから、適当にたたいても「テロとの戦いだ」といえば国際社会では通ってしまう。ハマスイスラエルにとって格好の、必要不可欠の「敵」なんニャ。

 イスラエル軍にとって、空軍も大型兵器も持たないハマスを殲滅することはさほど難しいことではニャいはずだ。

 ところが、毎回、2~3年後には、またロケット弾を飛ばせる程度に回復する力をハマスに残しとくんニャ。(P.134)

 

 

 どこの政治家も、好戦的なポーズをすると、支持率は上がりやすい。

 ただ、それでは復讐の連鎖は断ち切れません。

 簡単に復讐に加担するのではなく、とにかく人類の知恵を振り絞って、何としてでも戦争回避の方向に舵を切らなければならないと思います。

 

読書感想:『無関係な死/時の崖』

 20世紀の混沌を縦横無尽に漕ぎ渡り、人間と社会をめぐって、深い洞察の言葉を紡ぎつづけた安部公房

 その作品世界は、悪夢のようでありながら笑いに満ち、悲惨でありながら生のエネルギーに溢れています。(芸術新潮2024年3月号参照)

 

 2024年の今年は、安部公房氏の生誕100年という年。

 中高時代に初めて出逢い、衝撃を受けてから、改めて社会人になってから、様々な作品を読もうと思って手に取りました。

 

 最初はとっつきにくく、話の展開が非常に特徴的で難解な部分もあるのですが、なぜかそれが病みつきになるというのが、安部公房氏作品の魅力なところ。

 

 今回紹介する短編集、

無関係な死/時の崖

には、

〈人魚伝〉

という作品があります。

 

 

 物語としては、サルベージ会社の潜水士である“ぼく”が沈没船の中で全身緑色の人魚と出会い、恋に落ち、破局に至るというもの。

 その中で、“ぼく”は最終的に、社会的に存在しない存在として物語の中に閉じ込められてしまう。

 

 安部公房氏では、砂の女』が非常に有名ですが、何が何だかわからない存在のものから、自分が絡めとられて、身体や思考が支配されそうになるというのが、この『人魚伝』とも共通しているところがあります。

 

 そうした作品間で、共通するテーマみたいなのがあるのが、安部公房氏作品の魅力であり、様々な作品に触れることで、またその世界観が広がるのではないかなと思いました。

読書感想:『アボカドの種』

『言の葉をついと咥えて飛んでゆく小さき青き鳥を忘れず』

 

 当時の時事ニュースでも取り上げられた、俵万智の短歌。

 イーロンマスクがTwitterをXに名称変更した際、その時に詠んだ短歌。

 初めて目にしたとき、思わず声を出して唸ってしまいました。本当に天才的な句だと思います。

 

 

 そんな俵万智氏の最新の歌集となるのが、今回ご紹介する、

アボカドの種

という本。

 

 

 

 俵氏も言っていますが、平凡な日常は、決して油断ならないのだと思います。

 

『日常の言葉集めて丁寧に一人のために生まれる短歌』

 

 

 短歌に用いる言葉は、すごくシンプル。

 日常的に何気なく使っているシンプルな言葉から、自分のオリジナリティを通じて、短歌が生まれる。

 短歌と、それを作った本人との、言葉を通じた出逢い。よくよく考えてみれば、めっちゃ感動的なものではないだろうか。

 

 

 大げさではなく、日常の些細なことが、実はとても感動的なのではないかと、逆説的に考えられるような瞬間を味わえるのが、短歌の魅力だと思います。

 

 

 今後も俵万智氏の歌を鑑賞していきたいと思いました。

 

アーティゾン美術館に行ってきました。2024年2月。

  本日休みだったので、知人から勧められた、アーティゾン美術館の、

マリー・ローランサンー時代をうつす眼』

を鑑賞してきました。

www.artizon.museu



 

 彼女は20世紀に活躍した画家であり、キュビスムの画家として紹介されることも多くありますが、「前衛的な芸術運動」や「流派(イズム)」を中心に語る美術史の中にうまく収まらない存在でありました。

 

 

 

 

 正直、自分もこの絵画展を知り、初めて彼女のことを知ったのですが、現代美術の中の一つの方向性として、東京でこうしたものに参加できたのは、非常に有意義なことだと思いました。

 

 

 

 

プリンセス達

 

 

 

三人の若い女

 

 

 

五人の奏者





 

読書感想:『非色』

 こんなにも衝撃的で、感動した作品だとは思いませんでした。

 間違いなく、自分の中での印象に残った傑作です。

 

 今回ご紹介するのは、前回に引き続き、有吉佐和子氏の

非色

という小説。

 

 

 物語は、終戦後、日本に駐留した占領軍と結婚した、いわゆる『戦争花嫁』を主人公とする。

 恋に落ちた黒人占領軍兵士との間に、妊娠が発覚した主人公は、その子供を産むか産まないか悩む。

 しかし、実の母親が、黒人と結婚しようとしている主人公に対し、

『黒ン坊生まれちゃ困るじゃないか』

と言い放つ。

 反骨精神のようなものを持ち合わせる主人公は、より黒人兵士との結婚へと加速させていく。

 

 

 ただ、そんな主人公も、世間に対する体裁を決して無視できなかった。

 国際結婚したとはいえ、夫が黒人だとは言えない。

 黒人に対する日本社会の冷たい偏見から逃れようとする主人公は、自分の子どもを守るため、夫の国であるアメリカへ行こうと決意する。

 

 しかしながら、渡米した先にあったのは、むしろ日本よりも過酷な現実であった。

 日本にいてはわからない、移民の国であるアメリカ社会の、複雑に絡み合った人種差別に、主人公は直面する。

 

 この作品の名作だと思うところ。

 筆者が一番伝えたかったのは、戦争花嫁の過酷な人生そのものではなく、どんな人間も逃れられることのできない、人間社会に根強くある『差別の構造』を抉り出しているところにあると思う。

 そしてそれは、人種問題や、ナショナリズムにかかわるものではなく、人間本来の持つ『差別の構造』であると思う。

 

 主人公自体も、決して差別意識をまったく持ち合わせない、聖人君子ではない、というところが、非常に生々しい。

 

 

―金持は貧乏人を軽んじ、頭のいいものは悪い人間を馬鹿にし、逼塞して暮らす人は昔の系図を展げて世間の成上りを罵倒する。

要領の悪い男は才子を薄っぺらだと言い、美人は不器量ものを憐み、インテリは学歴のないものを軽蔑する。

人間は誰でも自分よりなんらかの形で以下のものを設定し、それによって自分をより優れていると思いたいのではないか。

 

 差別の意識というものは、どんな人間にも通底しているという本質を、小説という形で表現できる有吉佐和子氏の芸術性に、非常に惹かれました。

読書感想:『青い壺』

 また名作に出逢いました。

 2024年に、没後40年を迎える作家、有吉佐和子氏。

 その有吉氏の幻の長編小説が、奇跡の復刊を遂げたということで書店でフェアをやっており、気になって手にしたのが、今回紹介する、

青い壺

という小説でした。

 

 

 ひとりの陶芸家が焼き上げた、ひとつの青い壺。

 ふとしたキッカケでその壺は作り主の元を離れ、人から人へ様々な場所へ移動していく。

 壺自体も、いろいろな扱いを受ける。

 ある時は恭しく高級な桐箱に入れられて大切に保存されたかと思えば、ある時は新聞紙に包まれ床下に無造作に置かれるときもある。

 その中で、美しい壺に反映されるかの如く、様々な人間の機微や心理が克明に描き出される。ここがこの文学作品の醍醐味である。

 

 青い壺の『美』というものを通じ、人間各々の持つ美意識や、真贋の問題にまで風刺する。

 作者有吉佐和子氏の巧みさは、現代のそれにも十分痛烈に通じるものでないかと感じた。

 

 そして最期、数奇な運命を経て、壺はまた作り主の元へ戻ってくる。

 その時作り主が思い至る心理が、非常に清々しい。

 読者は、最後まで読んでよかったなと思えるのではないだろうか。

 

 遅咲きではあるが、有吉佐和子氏の作品をもっと読んでみたいと思った。

 現在読んでいる作品は、『非色』というものなので、また読んだら感想を書きたいと思います。

読書感想:『悲しみのなかの真実 石牟礼道子 苦海浄土』

 近現代の文学は、作者がいて作品がある、というのが一般的である。

 しかし、今回紹介する作品は、それとは異なる意味がある。

 

 石牟礼道子氏が著した作品、

苦海浄土

は、水俣病の患者たちが本当の語り手だと、石牟礼氏は述べる。

 水俣病の患者たちは、言葉を奪われて書くことができない。自分はその秘められた言葉の通路になっただけだと、石牟礼氏は述べられていた。

 

 その『苦海浄土』を深く理解するための一助になりえるのが、NHKブックス100分de名著

『悲しみのなかの真実 石牟礼道子 苦海浄土

である。

 

 

筆者の若松英輔氏は、本の中で、以下のように述べている。

―時間は過去から未来へと進んでいくが、過ぎ行く時間とは別の永遠につながる「時」が流れている。生命は滅びるが、万物の「いのち」は決して朽ちることはない。

 

 

 『苦海浄土』という同時代の作品を読むとき、現代の知性で読むのではなく、心や感情で読む。文字を理解しようとするのではなく、何が自分に響いているのかを感じることが大事だとも説いています。

 

―読み終えることのできる本は、たくさんあります。しかし、人生で何冊かは、読み終えることのできない本に出会ってもよいように思います。むしろ、そうした問いを投げかけてくれる書物こそ、真に文学と呼ぶにふさわしいものなのではないでしょうか。

 

 水俣病事件は、確かに過去になった歴史になりつつある。しかしながら、水俣病事件は、決して朽ちることのない意味合いを含んでいるのではないでしょうか。

 過ぎ去るものがある一方、決して過ぎ去らないものがあるということを、この『苦海浄土』は教えてくれます。

 

 一度読んだから終わりではなく、常にそこに刻まれたものに対して考察し続ける文学作品が、この『苦海浄土』なのではないかなと思いました。

Copyright ©とりま文系歯科医師が自己投資。 All rights reserved.

プライバシーポリシー