どんな生き方をしても、人間には必ず苦節が一、二度向こうからやってくる。そんな時、酒は友となる。
前回紹介した『大人の流儀』でも、伊集院静氏は酒についてこのように語っていますが、続編の『続・大人の流儀』でも、より共感を覚えるような、酒についての語りがされています。
私は若い時代に近しい者との死別に遭遇した。弟と妻、友も何人かいた。皆純粋な人間であり、人生の愉しみにこれから出逢おうという年齢だった。
先述したように、私はのっけから悪党だったから、彼等、彼女らの死を、なぜこの人たちでなくてはならなかったのかと、人の運命が納得できなかった。眠れない夜もあった。
そんな時、酒は、振り上げたい拳を、棘だらけの感情を受け入れ、ゆっくり気持ちをやわらげてくれた。
-あの時、酒がなかったら・・・。
と今でも思う。
人類が地上にあらわれ、社会という、人生という、不条理をともなうものを生きはじめ、酒というものを祖先が発見したのを、私は必然だと考える。一杯の酒で、ほろ酔ったやわらかなひとときで、どれだけの人が救われたのかと思う。
自分もウイスキーをはじめ、良いお酒を知ることは人生の深みになると感じつつありますが、これほど重厚感のある、尊敬する作家がこのように語っているのは非常に印象深いと思いました。
また、仕事に関する理不尽さを語っている文章がありましたが、こちらも非常に考えさせられました。
世の中の肌ざわりを覚えるには、理不尽と出逢うのがいい。
職場の中に、得意先に、理不尽を絵に描いたような人がいることは、不幸に見えて実は幸いなことだ。
「無理なことを言ってきやがったな」
「無体なことをさせやがるな」
その時はそう感じても、ひとつひとつを乗り越えていけば、笑い話にさえなる。
『大人の流儀』シリーズはこれからも継続して読んでいきたいと思いますので、また印象に残った部分を書き記していこうと思います。