先日の金沢旅行の際、行きの新幹線で崎陽軒のシウマイ弁当を食べながら読んだ本の読書感想。
積読本を持って行ったものの、新幹線搭乗前に書店に立ち寄ると、何だか新しい本を買いたくなってしまう『読書あるある』です。
今回は中学生時代からしばしば拝読している、伊集院静氏の『大人の流儀』を読ませていただきました。
-自分が孤独である時、自分は最も孤独でない。
これはローマの政治家キケロの名言ですが、僕はこの言葉が非常に好き。“孤独”を学ぼうとすると、改めて自分と内省できるチャンスを得られるから。
『大人の流儀』シリーズを読むのは今回初めてかも知れないのですが、伊集院氏の価値観に久々に触れたいなと思い、購入してみました。
まず、前提条件として、『ひとりを愉しむ条件は、“孤独感”や“孤愁”をごく当たり前のこととして受け入れること』だと伊集院氏は述べます。
-小説を書こうと思い始めた頃、或る一行に出逢った。
それは、“生きるということは、哀しみと歩むことでもある”という一文で、これを読んだ時、若かった私は、・・・・そうかな、楽しいことにも出会うんじゃないか。悲しみに嘆いてばかりじゃ生きていけないだろうに、と思った。
ところが歳を重ねていくうちに、さまざまな別離を体験し、生きることは哀しみを見つめざるを得ないのかもしれないと、思うようになった。
自分自身、ゼロではないにせよ、正直そこまで多くの別離(死別)を経験しているわけではありません。
『いつかそういう時期は来るのだろう』と、頭で想像は出来ていますが、哀しみを見つめることが、生きるということだという境地には、まだまだ時間がかかるのかな、と思います。まだ本当に青二才なのでしょう。
自分の経験値が少ないのか、伊集院氏の語る人生観に、いまいちピンと来ない部分も正直ありました。
ただ、人生の大先輩の考え方を素直に聞き入れるくらいの心の余裕はあります。
今ピンと来ない部分も、それはそれとして、今後の生き方に十分ヒントを得られるエッセイだと思いました。
時代が変われば感覚も変わってくるのでしょうね笑