とりま文系歯科医師が自己投資。

読書好きな開成、一橋大卒文系出身歯科医師のマイペースブログ。読書を中心に学んだ知識をアウトプットすることで、何か社会が少しでも変わればなと思い開設。好きなテーマは小説全般、世界史、経済学、心理学、経済投資など。筋トレも趣味です。

読書感想:『世界一「考えさせられる」入試問題 ~「あなたは自分を利口だと思いますか?」~』

-本気で考えて知力を振り絞ると、本物の高揚感が感じられるものだが、そういうことはえてして学生時代が終わると忘れがちだ。

 

 著者が作品内でそう述べているが、確かに、大人になって、子供時代にやっていたように、じっくり頭を捻って解答を導き出すような行為は減ってきていると感じる。

 物事を経験則でパターン化して考えるようになったものの、子供時代に持ち合わせていた、何か特別なスキルが衰えているのでは、と感じることがある。

 

 今回紹介する本は、そんなパターン認識では太刀打ちできない、難問奇問が紹介されています。 以前に自分のTwitterのフォロワーさんが紹介していた本なのですが、自分も興味があったので読んでみました。

 

 論理的に討論するスキルは、人生を成功に導く上で、また組織や社会や国家を説得して何かの目的を果たす上で、絶対不可欠の技術だと、イギリスでは考えられている。自分の意見を堂々と理詰めで展開する人の方が社会で光る。

 

 そこで、オックスブリッジの試験官は、受験生が基本的な討論力をすでに身に付けているかどうかを判断するために、この有名な口頭試問『インタビュー』を行う。

・あなたは自分を利口だと思いますか?

・幸せだ、とはどういうことですか?

・木を描くとします。その木は現実のものですか?

・カタツムリには意識はあるのでしょうか?

・歴史は次の戦争をとめ得るでしょうか?

 

 ジャンルは幅広く、自分の専攻とは全く異なる分野からの質問も少なくない。

 今までに読んだ本の話などしても決して意味がなく、どうやって頭が回転するかを短い時間で試験官に分からせるのが目的なのだと言う。

 

 解答は決して一つに決まるものではない。ただ、思考のプロセスが重要。

 本書は著者が導き出した解答が載せられているが、自分がこの口頭試問を実際に試験会場で受けたらどのような解答をだせるか、頭を捻って考えるのも良いと思う。

 

 ただ、やはり自分の思考回路は、やはり文系に偏っているのだなあとも思いました。

 自分が興味を持った質問も、社会学歴史学、哲学の分野に関係するものが多く、オックスブリッジを受験する生徒には全然太刀打ちできないなあと、しみじみ思いました。

 自分の好きな分野を伸ばしつつ、少しずつでも未だに知らない分野にも挑戦していきたいと思いました。

読書感想:『大人の流儀10 ひとりをたのしむ』

 先日の金沢旅行の際、行きの新幹線で崎陽軒シウマイ弁当を食べながら読んだ本の読書感想。

 積読本を持って行ったものの、新幹線搭乗前に書店に立ち寄ると、何だか新しい本を買いたくなってしまう『読書あるあるです。

 

 今回は中学生時代からしばしば拝読している、伊集院静氏の大人の流儀を読ませていただきました。

 

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-自分が孤独である時、自分は最も孤独でない。

 これはローマの政治家キケロの名言ですが、僕はこの言葉が非常に好き。“孤独”を学ぼうとすると、改めて自分と内省できるチャンスを得られるから。

 

 『大人の流儀』シリーズを読むのは今回初めてかも知れないのですが、伊集院氏の価値観に久々に触れたいなと思い、購入してみました。

 

 

 まず、前提条件として、『ひとりを愉しむ条件は、“孤独感”や“孤愁”をごく当たり前のこととして受け入れること』だと伊集院氏は述べます。

 

-小説を書こうと思い始めた頃、或る一行に出逢った。

それは、“生きるということは、哀しみと歩むことでもある”という一文で、これを読んだ時、若かった私は、・・・・そうかな、楽しいことにも出会うんじゃないか。悲しみに嘆いてばかりじゃ生きていけないだろうに、と思った。

 ところが歳を重ねていくうちに、さまざまな別離を体験し、生きることは哀しみを見つめざるを得ないのかもしれないと、思うようになった。

 

 自分自身、ゼロではないにせよ、正直そこまで多くの別離(死別)を経験しているわけではありません。

 『いつかそういう時期は来るのだろう』と、頭で想像は出来ていますが、哀しみを見つめることが、生きるということだという境地には、まだまだ時間がかかるのかな、と思います。まだ本当に青二才なのでしょう。

 

 

 自分の経験値が少ないのか、伊集院氏の語る人生観に、いまいちピンと来ない部分も正直ありました。

 ただ、人生の大先輩の考え方を素直に聞き入れるくらいの心の余裕はあります。

 今ピンと来ない部分も、それはそれとして、今後の生き方に十分ヒントを得られるエッセイだと思いました。

 時代が変われば感覚も変わってくるのでしょうね笑

金沢旅行記。兼六園とグルメと酒蔵見学と。

 旅行はつくづく、自己投資に繋がるものだと感じます。

 先日Twitterでも報告しましたが、この度休みを利用して、1泊2日の金沢旅行を堪能してきました。

 個人的に金沢に行ったのは、中学生以来2回目。職場の後輩の地元が金沢市で、しばしば金沢県の魅力を話してくれたので、また是非行ってみたいと思い、今回の旅行を企画しました。

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 旅行当日は暑いくらいの晴天

 加賀百万石の大名庭園、『兼六園もとても綺麗な深緑の優美さを堪能できました。

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 ちなみに、兼六園』の“六”とは、六つの景観(六勝)のことで、

・「宏大」⇔「幽邃」

・「人力」⇔「蒼古」

・「水泉」⇔「眺望」

という、中国宋代の『洛陽名園記に記された、相反するそれぞれのファクターのことを言うらしいです。

 

 これらは全て名園の条件として挙げられ、つまり『兼六園』は、「兼備が難しい六勝を全て備えている名園」という意味合いが込められているのだ、ということを今回知りました。

 

 

 

 夜は美味しい居酒屋が立ち並ぶ香林坊で、金沢おでんを堪能。

 今回お邪魔したのは、金沢おでんで有名な三幸さん。

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 夕方早くに伺うも、地元の常連さんで賑わっていましたが、予約をしていたため何とか無事入店。

 おでんは味がしっかりしつつも、関西風の丁寧なダシの味わいがあり、非常においしかったです。刺身や他の一品料理も同様に美味しかったです。

 

 

 

 そして翌日はこれも事前に予約していた日本酒の酒蔵、福光屋さんにお邪魔して、酒蔵見学をさせて頂きました。

www.fukumitsuya.co.jp

 こうした時期もあるということで見学者は他におらず。半ば貸し切りのような形で試飲をさせて頂きました。

 

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 金沢で最も長い歴史を持つ『福光屋』は1625年創業。およそ390年余り、伝統の職人技を受け継ぎながら酒造りをされている酒蔵です。

 

 そんな福光屋さんですが、2001年、米と麹だけで造る米蔵を実現。

 山の麓に降った恵みの百年水と、契約栽培米を用い、そして豊かな風土と歴史を背景に、華麗な発展を遂げてきた金沢の食文化に調和する形で、日本酒の新たな世界を切り開いてきました。

 

 特に金沢の土地の限定酒は、まるでワインを飲んでいるかのようなフルーティな味わいがあり、日本酒のイメージが大きく変わりました。

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 金沢の素敵な食文化に触れることは、少なからず、その土地の歴史や文化を知ることに繋がると思います。

 日本にはまだまだ知らない文化や歴史がある。そうした素敵な世界を、可能な限り、今後も発見していきたいと思いました。

                                                                                                      

読書感想:『そのとき、「お金」で歴史が動いた』 〈②なぜ、ドイツ経済は「たった3年」で回復できたのか?〉

 前回のブログでは、ナポレオン戦争において、なぜ軍事的に不利だった英国がフランスに勝利できたのか、という考察について学びました。

booklovers45.hatenablog.jp

 

 

 今回は、もう一つ目からウロコだった歴史的出来事、ナチスドイツ下でドイツ経済が「たった3年」で回復した理由について学んだことを書いていきたいと思います。

 

 第一次世界大戦で敗戦したドイツは、皇帝ヴィルヘルム2世までがオランダに亡命し、またパリ講和会議で戦争責任について追及され、フランスなどの戦勝国に対し、1320億マルクという莫大な賠償金を課した。

 1320億マルクという金額は、当時のドイツのGNP(国民総生産)の3倍を上回る。

 

 毎年支払うべき賠償金は、国民所得の10%、総輸出高の80%にも及んだため、新生ドイツ政府は財政赤字から抜け出すすべがなかった。

 こうした状況で、ドイツ政府の唯一の選択肢は、

通貨を増発すること

しかなかった。

 

 通貨を増発することで、1920年以降、ドイツでは月に50%もの物価が上昇する事態となり、紙幣の信頼は完全に失われた。

 こうした状況で深刻なのは、単に経済が回らないということだけではなく、お金の価値で保証されていた財産や固定収入が無価値と見なされるようになってしまったことにある。

 

 そうした中、政府と企業だけが現物資産を持つ媒体として生き残り、国民感情のなかには、これらに対する怨恨感情が沸き上がっていった。

 そしてその結果、ナチスを筆頭とする、全体主義勢力が力を持つ原因になってしまった。

 

 

 それでは、こうした状況下で、なぜドイツ経済は急速な回復を遂げたのであろうか。

 筆者が導いた答えは、

金本位制の放棄

である。

 

 ドイツは1931年8月、他国より早く金本位制から離脱したが、そのおかげで1933年には公定歩合が7%から4%に引き下げられ、ドイツ国内の信用条件は迅速に改善された。

 また、1929年6月のヤング案で、各国がドイツの支払い能力に応じて賠償金の軽減に合意したことも景気回復の助けになった。

 

 つまり、ドイツ回復のきっかけは、ヒトラーが政権を握った前に行われたことであり、その効果が表れたときに、『偶然にもヒトラーが政権下にいた、と言うことを表している。

 ヒトラーの成功は、『であったのだ。

 しかしながら、こうした経済回復を、自身をアピールする宣伝材料に利用できるくらい、ヒトラーが能力に長けていたことは、歴史の悲劇なのだなと感じました。

 

 1936年から勢力を急速に上げたナチスドイツが、わずか3年後の1939年に、第二次世界大戦を引き起こすほどの経済力を備えたのは、明らかに1932年に始まった経済浮揚政策のおかげであった。

 

 つまり、経済が深刻な危機に陥った場合でも、積極的な利下げや財政拡大政策を取れば、力強い経済成長を達成できるという、経済の教訓を学ぶことが出来る。

 

 歴史学習においても、こうした面からアプローチする重要性を感じました。

読書感想:『そのとき、「お金」で歴史が動いた』 〈①軍事力で不利だった英国がナポレオンに勝てた本当の理由〉

 自分の学習範囲として、それぞれ経済学と歴史の分野を学んでいますが、今回紹介する本は、経済が歴史にどのように関係しているかを理論的に解き明かす非常に面白い教材となっています。

 

 著者は韓国の経済学者で、Youtubeチャンネルも解説しているホン・チュヌク氏。

 本書の内容は、世界の歴史を変えた重大事件の背景を見つめることで、世界がどのように回ってきたのか、歴史に名を残した英雄たちの行動だけでは説明できない裏側を理解するものになっています。

 

 8部構成になっている本書は、産業革命前後の西洋世界の発展から、1929年の大恐慌、そして最終的には『コロナ・ショック』後の世界経済についても説明がされている。

 

 経済と連関した歴史の一面を読み解くことで、今後の世界経済の分析にも役立つ、本書は非常に有益なことを学ばせてくれると思います。

 

 学ぶべきことは色々あったのですが、今回は個人的に非常に勉強になった、ナポレオン戦争における経済的背景をご紹介したいと思います。

 

 

〈(1)軍事力で圧倒的に不利だった英国が戦争に勝てた理由〉

 19世紀初め、ヨーロッパ大陸を制覇したナポレオンにとって、最大の脅威は英国であった。

 英国はフランスを牽制するために、7回にわたって対仏大同盟を結成し、またスペインとポルトガルの反乱を持続的に支援したりなどした。

 その戦争で中心になったのは英国海軍なのだが、その英国は、どのようにその軍隊を育成したのでしょうか?

 

 一番の理由は、1688年の名誉革命だと考えられる。名誉革命を境に英国の国債金利が急落したため、フランスなどライバル国家との競争で優位に立てた。

 名誉革命で英国議会はオランダのオラニエ公ウィレムをウィリアム3世として新国王の座につけ、新たな税金を貸す際には議会の同意を得ること、国民の財産を一方的に強奪しないことを約束させた。

 また、オランダ式の金融制度が英国に持ち込まれたことで、英国は他国と比べ、はるかに低い金利で資金を調達できるようになった。これが英国陸海軍の戦力増強へと繋がった。

 加えて、金利下落の恩恵を受けたのは英国政府だけではなかった。『信頼に足る』資本市場が形成されることで、全世界の富豪が投資のため、我先にとロンドンに押し寄せるきっかけにも繋がったといいます。

 

 歴史の教科書の中では、どの国が勝利をしたか、という事実に関しては描写がありますが、こうした背景を学ぶことは決して多くは無かったので、歴史学習における思考のフットワークを広げることの大切さを感じました。

 

 次回はナチス政権下のドイツが、なぜ『たった3年』で経済の回復ができたのか、ご紹介したいと思います。

 

読書感想:『命売ります』

 以前三島由紀夫レター教

booklovers45.hatenablog.jp

 という、三島由紀夫作品をご紹介しましたが、今回も三島作品の一つをご紹介したいと思います。

 2020年三島由紀夫の『生誕95年・没後50年だったみたいで、昨年の2020年の時に購入し、今まで積読しておいた本をやっと読み終えました。

 

 ストーリーは、生きることに対して価値を見出さなくなった退廃的な青年が、

「どうせ自殺するなら」と、『自分の命を売る』広告を新聞に出すところから始まる作品。

 

 実際に青年のもとには、命を買おうとする様々な客が訪れる。しかし、青年はそんな人々と関わりながら、何故か死ぬことが出来ずに生き延びてしまう。

 

 そうした時間を過ごす中、皮肉にも主人公は、生に対しての価値観が次第に変化していく。

 しかしながら、そうなると逆に命の危険に晒されるようになり、主人公は今まで容易く捨てようとしていた命に対して、非常に強い執着を覚えるようになります。

 

 三島由紀夫の端麗な日本語が、生に翻弄される主人公の辛さを強烈にかつ鮮明に描写していることで、現代の我々が今読んでも非常に明快なイメージを喚起します。

                                              

 三島作品で有名な作品はいくつもありますが、こうした退廃的ニヒリズムを表現しながら、ユーモアのあるような作品は、とても興味深いなと思って読むことが出来ました。

 

 自分ももう少し歳が若かった時に読んでいたら、この主人公の気持ちが強烈に理解できた気がする。(今でも何となく分かるけど)

 

 もっと年若い時(出来れば10代のうち)に、三島作品をもっと読んでおけばよかったなと思う作品の一つでした。

読書感想:『楊令伝』第二巻

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おことわり

 自分が現在継続して読み続けている、北方謙三氏の楊令伝の読書感想を書き記していく予定です。

 『楊令伝』は前作『水滸伝』に引き続き、『岳飛伝』へと繋がる、『大水滸伝』シリーズの一つで、ストーリー背景を描写する上で、多少のネタバレが生じてしまいます。

 有り難くも当該ブログをご覧いただく際には、その点をご理解いただけると幸いです。

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〈前回までのあらすじ〉

 中国、北宋末期。かつて混濁の世を糺すため、大国の宋に真っ向から闘いを挑んだ梁山泊という組織。

 替天行道の旗のもとに集結した豪傑たちは、宋国の童貫元帥の率いる最強の禁軍との激戦の末、ついに陥落。生き残った同志たちは志半ばに、各地に散っていった。

 それから、三年の月日が経っていった。

 

 燕青は、李俊張敬らと、梁山湖に隠し沈めてあった銀を引き上げる。それは死んだ盧俊義が命を削って築いた塩の道から生み出された、梁山泊の軍資金であった。

 残った豪傑達は一同に集結し、今後の戦略を練るための会合を開く。そこへ戴宗が連れてきたのは、炎上した本拠地で死んだと思われていた、呉用だった。

 しかし、再起のために不可欠なものが、まだ足りなかった。頭領である。

 呉用に北へ行くように命じられた燕青は、三年前に姿を消した楊令の行方を探しに行く。

 

 一方、官軍の闇組織、青蓮を率いる李府は、梁山泊が再び大きな反乱勢力になることを恐れていた。

 また北の遼国の存在や、加えて阿骨打の建国した金が、急速に勢いを増してきていた。そして南では、宗教指導者方臘の一派が勢力を強め始めている。

 

 洞宮山で残党を結集しながら調練していた新兵の中には、華々しく戦死を遂げた花栄の息子、花飛麟がいた。

 花飛麟は武術では並外れた実力を持っているが、己の心の弱さゆえに、秦明の息子の秦容を怪我させてしまう。

 自分の弱さを思い知った花飛麟は、王進が健在の子午山に留まり、武術の腕を磨き上げていく。

 

 北の地をさすらっていた燕青武松は、ついに幻王と呼ばれる男と対峙する。

 顔には、赤い痣。岩山の頂にひとりで立つその男は、まぎれもなく、かつて宋江が『替天行道』の旗を託した男、青面獣・楊令であった。

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 再起をかける梁山泊軍の頭領、楊令が本格的に登場しますが、楊令のシーンは非常に重みがあります。

 

-人が、生涯で味わう苦しみの、何倍のものを、あの年齢ですでに味わっておられる。天稟に恵まれた上に、人の何十倍もの修行を積み、誰も経験したことがないほどの、激しい戦をしてきたのですよ。

-そうだな。聞いただけでも、すごい人生だものな。いつも、不思議な気配を漂わせている。逃げ出したいような、すべてを投げ出したいような、おかしな気持ちに襲われるよ。

 

 自らも死の危機に瀕し、かつ周りの重要人物の死に際にも直面した楊令。

 並大抵のメンタリティでは押しつぶされてしまうような経験をしていると思うのですが、非常に人間臭い一面が見受けられます。

 その上、人間を見極める力も人並み外れたものがあると感じました。

 自らの業が纏わりついていた武松ですが、楊令がその右手首を切り落としたことで、武松の性格を大きく変えました。

 

 また、楊令が考える、人々の志と国家との関係性の価値観も、現代の人間にも学ぶべきところがあるのではないかな、と思いました。

 楊令が、呉用と志について論議するシーンがあります。

呉用『志が、国を作るとは思えんのか?』

楊令『志が、夢が、国というかたちになってしまったら、また同じことです。権力や富の奪い合いが起きる。腐敗の具合は、いまの宋よりいくらかましでも、なくなるわけはない。闘いが、国というかたちで結実した時、志や夢は、消えていくしかないと思います。あの敗戦から、俺が考え続けて行き着いたところが、それです。』

(中略)

呉用『楊令、おまえの志は、夢は、新しい国家というものにつながるのか?』

楊令『不思議なことに、繋がらないのです。志を果して作り上げた国家は、倒した国家より、いくらかましである、ということにすぎません。それぐらいの愚かさを持っているのが、人でしょう。しかし、いまある国家を倒し、新しい国家を作りたいという想いには繋がるのです。そのために、闘おうという思いに。それで、俺は生きたと思えるだろうと。』

 

 新しい国家建国が目標であり、そのための原動力として志を考える呉用と、志を抱いて人生を駆け抜けることで、そこに自分の生きた証というものを感じようとする楊令

 志の捉え方は非常に違いますが、ここまで人らしい頭領と言うのは非常に斬新な気がしました。

 この楊令がどのように成長するのかも、見どころなのかもしれません。

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