-日本語には、「お酒を嗜む」という素晴らしい言葉があります。その言葉には、「好み、心得、趣味」「心がけ、用意」「つつしみ、節度」といった意味があり、まさに教養のある人の愉しみ方を表す言葉だと思います。(P.8)
筆者の橋口孝司氏が、冒頭に述べているお酒の本質に、お酒に関する魅力が非常に凝縮されているように感じる。
昨年から個人的に学び続けているウイスキーの世界ですが、自分の周りを見ても、ウイスキーに対して関心を持つ友人が増えてきたような気がします。
2008年頃から始まったハイボールブームや、2014年放映のNHK朝ドラ『マッサン』などがあり、ウイスキーは世界的にだけでなく、国内でもブームの広がりは身近に感じられるのではないでしょうか。
実際、国内では酒類全体の生産・販売量が減少している中、ウイスキーの生産量は2008年から増加し続けているそうです。
販売量も2010~2015年の5年間で約1.5倍に増え、特に輸出金額においては、2019年に2008年の約13倍と爆発的に増加していると言う。
筆者も述べていますが、ウイスキーを愉しむ場は、心を癒す楽しい時間であるとともに、ビジネスチャンスでもあり、人脈を広げる場でもあります。
ウイスキーを愉しめることは、ビジネスパーソンとしての強みであり、いまや身に付けておくべき教養という考え方は、決して言い過ぎではないのかなと思っています。
また、ウイスキーの魅力を知るために必要なのは、一つひとつの銘柄の知識ではなく、ウイスキーを俯瞰的に理解できるようになるための知識であるとも筆者は述べています。
ウイスキーの生産工程や原料だけでなく、成立に至った歴史背景や時代まで理解することで、より広い価値観が広がるのではないでしょうか。
ウイスキーを理解する参考文献の一つとして追加していきたいと思います。
今回は簡単に、興味が湧くウイスキーの歴史について書き残していきたいと思います。
〈知っていると教養が深まる『ウイスキーの歴史』〉
【ウイスキーの起源】
現在のウイスキーは琥珀色が当たり前だが、ウイスキーが琥珀色になるのは『木の樽による熟成』という工程が加わったことによるもの。
①アイルランド起源説
1172年にイングランド王のヘンリー2世率いる軍がアイルランドに侵攻。その時にアイルランドでは大麦から蒸溜した酒が飲まれていたこと言うことが伝えられている。
ただ、あくまでイングランドに残っている言い伝えで、公式の記録ではないため、確定と言い切れない。
②スコットランド起源説
1494年のスコットランド王室記録帳には、
「8ボルの大麦麦芽を修道士ジョン・コーに与え、それでアクア・ヴィッテを造らせた。」
という記載がある。
蒸溜の技術は、黄金を生み出すための錬金術の中心的な技術として発展し、様々な研究を重ねた錬金術師らは、蒸溜の過程で生まれた高い度数のアルコール飲料を、『生命の水』(ラテン語で、アクア・ヴィッテ)と呼んだ。
そしてそれをゲール語にしたのが、『ウシュク・ベー・ハー』で、最終的にウイスキーになったというもの。
何となくこちらの方が信ぴょう性ありそうだが、本当はどうなんでしょうか。
【ウイスキーの発展に影響を与えた史実】
①農耕文明
農耕文明により、人々の生活様式が変わり、ウイスキーの原料となる麦の栽培が始まるきっかけとなった。
そして、穀物などの食べ物を『保存』することと、『偶然』が繰り返されることでお酒が誕生し、そこから出来たお酒が、後にウイスキーへと繋がっていくことになった。
②修道士による技術の伝播
キリスト教が広がりを見せた中世ヨーロッパで、修道院と修道士が果たした役割は極めて大きかった。
それらは信仰を深めただけでなく、農作業などの労働の場や生産の場としても、人々の暮らしに安定をもたらした。
③イングランドによるスコットランドの併合
1707年に、イングランドによってスコットランドが併合されたことで、大きな変化が訪れた。
ウイスキーに対して、イングランドと同等の高い酒税が課せられるようになり、スコットランドのウイスキー蒸留家は課税から逃れるために、作ったウイスキーを空き樽に詰めて色々な場所に隠した。
そして彼らが数年後樽を開けてみると、ウイスキーは琥珀色となり、まろやかで美味しい液体に変わっていった。
④産業革命
その後ウイスキーの製造方法、品質に劇的な変化をもたらしたのは、19世紀にイギリスから起こった『産業革命』である。
お酒造りにおいては、顕微鏡の発展により、酵母についての研究が進み、デンマークのカールスバーグ醸造所で酵母の純粋培養法が開発されたほか、フランスのパスツールにより開発された殺菌技術で、お酒の保存技術が発展した。
⑤フィロキセラの流行
ウイスキーがその地位を確立した有名な事件は、『フィロキセラ』という害虫のまん延である。
19世紀ごろのフランスに、アメリカから輸入した苗木を介して、フィロキセラが侵入。
この害虫はたちまちヨーロッパ全域にまん延し、ワインの生産量はたった4年間で3分の1以下にまで激減した。
ブドウの木の被害によってワインが飲めなくなってしまい、ヨーロッパの人々は、スコットランドのウイスキーに目をつける。
こうして、ワインに代わる新しいお酒として、ウイスキーの認知度は一気に上がり、世界中へ輸出されるお酒になっていった。
⑥ウイスキー論争
『モルトウイスキー』、『グレーンウイスキー』、『ブレンデッドウイスキー』という呼び名は、昔からあったものではない。
産業革命で連続式蒸溜器が誕生し、グレーンウイスキーが出来るようになると、原料の異なる2種類のウイスキーの見分けがつかなくなった。
すると、大麦麦芽のみを原料としたウイスキーを造っている人たちは『モルトウイスキー』という名称を使うようになる。
加えて、モルトウイスキー生産者側からは、
『グレーンウイスキーや、モルトウイスキーとグレーンウイスキーを混ぜ合わせたものは、スコッチウイスキーとは言えない』
という主張が出はじめ、スコッチウイスキーの定義について議論がなされた。
最終的には1909年の王室委員会の裁定で、モルトウイスキーだけでなく、グレーンウイスキー、それらを混ぜ合わせたブレンデッドウイスキーもスコッチウイスキーとして正式に認められた。
上記のウイスキーの歴史の変遷に加え、現在では、『情報革命』の波も、ウイスキーに大きな影響を与えていると筆者は語っています。
世界中から情報を得て原料の調達をするのも可能になり、製造技術も新たなものがどんどん開発されるようになっている。
最近はウイスキーの商品そのものよりも、その付加価値ばかりが重視されているのではないか、と言っています。
冒頭に述べた通り、お酒は本来美味しく愉しむためのもの。教養と品格ある大人としては、その価値を冷静に見極められる、そんな大人になりたいと思うようになりました。